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龍次郎さんのこと−その23 龍次郎さん、北条に育つ

明治11年に北條村に生まれた龍次郎さんは、明治23年ごろ生まれた家を出て野口寧斉塾で学び始めることになります。現在の制度であれば中学生になるくらいの年齢に、家を離れて学んだわけです。龍次郎さんのことですから、張り切って学んだであろうとは思うのですが、まだ少年と呼ばれる年齢。心細くなかったのだろうか、家が恋しくはなかったかなど、ついつい想像してしまいます。

家を出て野口寧斉塾で学ぶ前、生まれ育った場所の人々や環境、空気感などは自然と感じながら暮らしていたはずですから、その頃の北条の町も、龍次郎少年に、その後の発明家であり事業家である龍次郎さんに、影響を及ぼしていたはずだ、とも思います。 ……

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守り人日記(3月18日)

こんにちは。守り人Hです。
お客様をお待ちしてる間、落ち葉のお掃除しました。 落ち葉が絨毯の様に地面を覆っていましたが、 その下には小さな春の芽吹きが沢山あり、 掃除の疲れもどこかに吹っ飛んでいきました。 皆さんも矢中で小さな春感じてみてください。

次回の邸宅公開は25日(土)です。皆さまのお越しをお待ちしております。

守り人日記(2月25日)

こんにちは。守り人Hです。

散策がてら、たまたま庭から撮影したお雛様が面白い写真になりました。ちょうど日が差していたり、木の影あったり…とてもドラマティックな写真になりました。皆さんも矢中にお越しの際はお気に入りの一枚、なんていかがでしょうか?

 

次回の公開は3月4日(土曜日)です。皆さまのお越しをお待ちしております。

4月1日実施の文化財巡りツアー参加者も大募集中です!

龍次郎さんのことその22ー龍次郎さん、邸宅を案内する。

昭和13年から28年にかけて建てられた矢中の杜は、近代を生きた龍次郎さんの思想や好みの集大成なのだろうと思っています。単に、趣味や好みだけではなく、龍次郎さんが考える「建築とはどうあるべきか」という問いの答えを具体的かつ実験的に示している、そういった意味でも見応えのある邸宅です。

 

矢中の杜の建設当時の龍次郎さんの取材記事によると、
「必ずしも私物とせず学会の研究的会合などには喜んで提供する用意があると言っており、将来は財団法人として公共のように供する時期もあろうかと言っている。」
(建築設備 No.33 昭和28年7月1日発行 ※旧仮名遣いは現代仮名遣いに筆者が適 ……

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ひな飾り!

守り人Mです。2月18日の邸宅公開では、お客さんの合間を見て例年邸宅内で飾っているひな人形を出しました!

 

豪華な7段飾り。もちろん台から設置です。

力を合わせて飾っていきます。

日本の手仕事のきめ細かさを感じます。

 

完成!飾っていても心がうきうきしてきます。

 

来週も25日土曜日は邸宅公開日です。ぜひひな祭り気分を味わいに矢中の杜へおいでください♪

龍次郎さんのこと その21ー龍次郎さん、小学校へ。

矢中の杜には、明治18年(龍次郎さん満7歳の頃)に発行された、「北條小学校初等科第六級卒業」の証書が残っています。お名前の漢字が違うのはご愛嬌なのだろうか…と引っ掛かりつつも、「第六級卒業ってなんだろう?」と不思議に思い調べてみると、明治12年に発令された「改正教育令」によるものでした。

明治5年に発布された「学制」が、明治12年、「教育令」に変更され、その後改正がなされました。小学校の教育課程の基準については、明治14年に「小学校教則綱領」が定められ、小学校は、初等科:3年、中等科:3年、高等科:2年の三段階編制となったのだそう。初等科6級、中等科6級、高等科4級の昇級制度が設けられて ……

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龍次郎さんのこと その20ー龍次郎さん、ますます発明する

矢中の杜(旧矢中家住宅)の特徴の一つは、矢中防火板。
これは、日本の風土にあった木造建築の持つ弱点の一つ、火を食い止めるための龍次郎さんの発明です。薄いコンクリートのタイル板を外壁の下地に貼り付け、その上をモルタルなどで仕上げるもので、特に隣地との境界線近くの外壁に使われています。普段は壁の中ですから見えないのですが、そっと守りを固めているわけです。

龍次郎さんが活躍していた頃、木造建築の外壁を薄い、土・モルタル・タイル・金属板などでくるんで火がつきにくくする準防火構造の対策が取られはじめます。これが大正9年に制定施行され、初の建築法規と言われている「市街地建築法」。当時ほとんどを占め ……

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