2017年6月22日

龍次郎さんのことーその26 龍次郎さんの本棚 

矢中の杜は、昭和の邸宅として、豪華な姿を見せてくれますが、なぜだか妙に居心地がいいとよく言われます。その感覚の元になるのは、当時の調度品がそのまま残されていて、暮らしが垣間見えることにあるのではないでしょうか。

本館にある書斎には本棚が二つあり、中には本も残されています。
通常は非公開ですが、本棚を開けて、まず目につくのは将棋と囲碁の本。
特に将棋に関する本は「将棋大観 上・下巻」「これを読めば必ず強くなる 最新将棋必勝法」「将棋一路」「将棋の急所(平手編)」などなど数冊見つかります。

 これら全てが龍次郎さんのものなのかどうかは、わかりませんし、ご家族の本かもしれません。 ……

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2017年5月25日

龍次郎さんのことーその25 龍次郎さんのタイル

矢中の杜を訪れた方が、邸宅に入って一番最初に目に入るのが、玄関の床にみっしりと貼られたタイルでしょう。布地を押し付けたような模様の入った「布目タイル」。ニュアンスのある柔らかな風合いが目を引きます。
サンプルとしておいてあるタイルの裏をめくると、「泰の字を3つの円が囲むマーク」が付いていて、泰山タイルだということがわかります。泰山タイルは池田泰山氏による泰山製陶所で始まり、建築用装飾品として生産されました。その品格で高い評価を受けていたのだそう。

龍次郎さんと何の関係が?と思っているあなた。これからです。

「泰山タイル」のことを調べてくれた守り人仲間の資料を見て、ふむふむと思い、 ……

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2017年4月20日

龍次郎さんのことーその24 もっと知りたい。

龍次郎さんのこと。もっと、知りたいことがたくさんあります。
野次馬的な関心事から、実際の業績に至るまで、ついつい興味津々になってしまいます。

矢中の杜には、十九夜講の講中の縁台があったり、龍次郎さんが町内会に当時寄贈したものが、戻ってきたりと、実際に残る品物から、北条の街の中での龍次郎さんのことがわかるのではなかろうか。街の中でどのように暮らしておられたのかは大変気になるところです。

会社を起こされ、数々の発明、特許を取られた際、お仲間がおられたはず。
特許書類の中でお見受けするお名前が幾つかあり、また、矢中の杜に残る書類にも手がかりがありそうですが、それはどんな方たちだったの ……

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2017年3月23日

龍次郎さんのこと−その23 龍次郎さん、北条に育つ

明治11年に北條村に生まれた龍次郎さんは、明治23年ごろ生まれた家を出て野口寧斉塾で学び始めることになります。現在の制度であれば中学生になるくらいの年齢に、家を離れて学んだわけです。龍次郎さんのことですから、張り切って学んだであろうとは思うのですが、まだ少年と呼ばれる年齢。心細くなかったのだろうか、家が恋しくはなかったかなど、ついつい想像してしまいます。

家を出て野口寧斉塾で学ぶ前、生まれ育った場所の人々や環境、空気感などは自然と感じながら暮らしていたはずですから、その頃の北条の町も、龍次郎少年に、その後の発明家であり事業家である龍次郎さんに、影響を及ぼしていたはずだ、とも思います。 ……

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2017年2月23日

龍次郎さんのことその22ー龍次郎さん、邸宅を案内する。

昭和13年から28年にかけて建てられた矢中の杜は、近代を生きた龍次郎さんの思想や好みの集大成なのだろうと思っています。単に、趣味や好みだけではなく、龍次郎さんが考える「建築とはどうあるべきか」という問いの答えを具体的かつ実験的に示している、そういった意味でも見応えのある邸宅です。

 

矢中の杜の建設当時の龍次郎さんの取材記事によると、
「必ずしも私物とせず学会の研究的会合などには喜んで提供する用意があると言っており、将来は財団法人として公共のように供する時期もあろうかと言っている。」
(建築設備 No.33 昭和28年7月1日発行 ※旧仮名遣いは現代仮名遣いに筆者が適 ……

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2017年2月5日

龍次郎さんのこと その21ー龍次郎さん、小学校へ。

矢中の杜には、明治18年(龍次郎さん満7歳の頃)に発行された、「北條小学校初等科第六級卒業」の証書が残っています。お名前の漢字が違うのはご愛嬌なのだろうか…と引っ掛かりつつも、「第六級卒業ってなんだろう?」と不思議に思い調べてみると、明治12年に発令された「改正教育令」によるものでした。

明治5年に発布された「学制」が、明治12年、「教育令」に変更され、その後改正がなされました。小学校の教育課程の基準については、明治14年に「小学校教則綱領」が定められ、小学校は、初等科:3年、中等科:3年、高等科:2年の三段階編制となったのだそう。初等科6級、中等科6級、高等科4級の昇級制度が設けられて ……

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2017年1月22日

龍次郎さんのこと その20ー龍次郎さん、ますます発明する

矢中の杜(旧矢中家住宅)の特徴の一つは、矢中防火板。
これは、日本の風土にあった木造建築の持つ弱点の一つ、火を食い止めるための龍次郎さんの発明です。薄いコンクリートのタイル板を外壁の下地に貼り付け、その上をモルタルなどで仕上げるもので、特に隣地との境界線近くの外壁に使われています。普段は壁の中ですから見えないのですが、そっと守りを固めているわけです。

龍次郎さんが活躍していた頃、木造建築の外壁を薄い、土・モルタル・タイル・金属板などでくるんで火がつきにくくする準防火構造の対策が取られはじめます。これが大正9年に制定施行され、初の建築法規と言われている「市街地建築法」。当時ほとんどを占め ……

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2016年12月25日

龍次郎さんのこと その19ー龍次郎さん、立ち向かう

今年もいよいよあとわずか。年の瀬も押し迫ってまいりました。
12月26日(月)午後11時15分から、NHKBSプレミアムで、矢中の杜でロケが行われたドラマが放映されます。江戸川乱歩短編集Ⅱの第1回「何者」の舞台になりました。矢中の杜で事件が起こるようです!

さて、龍次郎さんのこと。満州から日本に戻り、東京で会社を起こして2年目、大正12年、関東大震災が東京を襲います。震災後の帝都復興には、セメント防水剤マノールが数多くの建築物で使われたようです。前回ご紹介した昭和30年作成の「経歴書」によると、国会議事堂、宮内庁、歌舞伎座、三越呉服店、同潤会啓成社、同潤会アパート、野田醤油株式会社など ……

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2016年12月11日

龍次郎さんのこと その18ー龍次郎さん、渋沢子爵邸を施工する

今回はいつにも増して個人的な推理の域を出ない話です。

龍次郎さんの発明したセメント防水剤マノール。昭和30年に作成された「マノール防水剤 経歴書」のマノール防水施工先には、国会議事堂に始まり、宮内庁、警視庁、歌舞伎座や三越呉服店と当時から様々な建築物に採用されていたことがわかります。その中に、「渋沢子爵邸」という記載もあります。渋沢子爵といえば、渋沢栄一氏もしくは渋沢敬三氏でありましょう。

個人的にではありますが、年代的にみても、先の冊子の施工先として渋沢栄一氏の起こした「渋沢倉庫」の記載も見えることもあり、渋沢栄一邸ではないかと推測しています。

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2016年11月27日

龍次郎さんのこと その17ー龍次郎さん、銅像になる

一昨年、東日本大震災による被害の修繕工事を行ったときのこと。
矢中の杜に残る横井戸の上の部分の大谷石の土留めが、震災の際崩れてしまい、応急的に対応していました。茨城県やつくば市、日本ナショナルトラストの助成を受けて、そこを修繕することができたのですが、そのまま大谷石を積み上げるのではまた崩れるおそれがあるので、補強をして修繕しましょうということに。工事のためちょうど横井戸の上の土を掘っていたとき、何故か土の中から頑丈なコンクリートの平板が現れたのです。これは一体なんだ?と首を傾げた時に思い出したのが、矢中の杜に残っている写真の一つでした。それはかつて矢中の杜にあった龍次郎さんの胸像の写真。そ ……

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