2017年2月23日

龍次郎さんのことその22ー龍次郎さん、邸宅を案内する。

昭和13年から28年にかけて建てられた矢中の杜は、近代を生きた龍次郎さんの思想や好みの集大成なのだろうと思っています。単に、趣味や好みだけではなく、龍次郎さんが考える「建築とはどうあるべきか」という問いの答えを具体的かつ実験的に示している、そういった意味でも見応えのある邸宅です。

 

矢中の杜の建設当時の龍次郎さんの取材記事によると、
「必ずしも私物とせず学会の研究的会合などには喜んで提供する用意があると言っており、将来は財団法人として公共のように供する時期もあろうかと言っている。」
(建築設備 No.33 昭和28年7月1日発行 ※旧仮名遣いは現代仮名遣いに筆者が適 ……

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2017年2月5日

龍次郎さんのこと その21ー龍次郎さん、小学校へ。

矢中の杜には、明治18年(龍次郎さん満7歳の頃)に発行された、「北條小学校初等科第六級卒業」の証書が残っています。お名前の漢字が違うのはご愛嬌なのだろうか…と引っ掛かりつつも、「第六級卒業ってなんだろう?」と不思議に思い調べてみると、明治12年に発令された「改正教育令」によるものでした。

明治5年に発布された「学制」が、明治12年、「教育令」に変更され、その後改正がなされました。小学校の教育課程の基準については、明治14年に「小学校教則綱領」が定められ、小学校は、初等科:3年、中等科:3年、高等科:2年の三段階編制となったのだそう。初等科6級、中等科6級、高等科4級の昇級制度が設けられて ……

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2017年1月22日

龍次郎さんのこと その20ー龍次郎さん、ますます発明する

矢中の杜(旧矢中家住宅)の特徴の一つは、矢中防火板。
これは、日本の風土にあった木造建築の持つ弱点の一つ、火を食い止めるための龍次郎さんの発明です。薄いコンクリートのタイル板を外壁の下地に貼り付け、その上をモルタルなどで仕上げるもので、特に隣地との境界線近くの外壁に使われています。普段は壁の中ですから見えないのですが、そっと守りを固めているわけです。

龍次郎さんが活躍していた頃、木造建築の外壁を薄い、土・モルタル・タイル・金属板などでくるんで火がつきにくくする準防火構造の対策が取られはじめます。これが大正9年に制定施行され、初の建築法規と言われている「市街地建築法」。当時ほとんどを占め ……

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2016年12月25日

龍次郎さんのこと その19ー龍次郎さん、立ち向かう

今年もいよいよあとわずか。年の瀬も押し迫ってまいりました。
12月26日(月)午後11時15分から、NHKBSプレミアムで、矢中の杜でロケが行われたドラマが放映されます。江戸川乱歩短編集Ⅱの第1回「何者」の舞台になりました。矢中の杜で事件が起こるようです!

さて、龍次郎さんのこと。満州から日本に戻り、東京で会社を起こして2年目、大正12年、関東大震災が東京を襲います。震災後の帝都復興には、セメント防水剤マノールが数多くの建築物で使われたようです。前回ご紹介した昭和30年作成の「経歴書」によると、国会議事堂、宮内庁、歌舞伎座、三越呉服店、同潤会啓成社、同潤会アパート、野田醤油株式会社など ……

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2016年12月11日

龍次郎さんのこと その18ー龍次郎さん、渋沢子爵邸を施工する

今回はいつにも増して個人的な推理の域を出ない話です。

龍次郎さんの発明したセメント防水剤マノール。昭和30年に作成された「マノール防水剤 経歴書」のマノール防水施工先には、国会議事堂に始まり、宮内庁、警視庁、歌舞伎座や三越呉服店と当時から様々な建築物に採用されていたことがわかります。その中に、「渋沢子爵邸」という記載もあります。渋沢子爵といえば、渋沢栄一氏もしくは渋沢敬三氏でありましょう。

個人的にではありますが、年代的にみても、先の冊子の施工先として渋沢栄一氏の起こした「渋沢倉庫」の記載も見えることもあり、渋沢栄一邸ではないかと推測しています。

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2016年11月27日

龍次郎さんのこと その17ー龍次郎さん、銅像になる

一昨年、東日本大震災による被害の修繕工事を行ったときのこと。
矢中の杜に残る横井戸の上の部分の大谷石の土留めが、震災の際崩れてしまい、応急的に対応していました。茨城県やつくば市、日本ナショナルトラストの助成を受けて、そこを修繕することができたのですが、そのまま大谷石を積み上げるのではまた崩れるおそれがあるので、補強をして修繕しましょうということに。工事のためちょうど横井戸の上の土を掘っていたとき、何故か土の中から頑丈なコンクリートの平板が現れたのです。これは一体なんだ?と首を傾げた時に思い出したのが、矢中の杜に残っている写真の一つでした。それはかつて矢中の杜にあった龍次郎さんの胸像の写真。そ ……

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2016年11月13日

龍次郎さんのこと その16ー龍次郎さん、最大の謎とは

矢中の杜(旧 矢中家住宅)の工事が始まったのは、昭和13年。工事がすべて終わったのが昭和28年です。龍次郎さん満60歳からの建築事業で、別館(迎賓棟)の1階部分、本館(居住棟)、別館の2階部分の順に建築されました。

昭和13年といえば、日中戦争が始まった翌年であり、国家総動員法が施行された年。戦時統制が強まり、資材も労務も制限があった時代です。
矢中の杜建設に影響があると思われる統制規則を見てみると、
昭和12年 「鉄鋼工作物築造許可規則」…鉄材、鋼材についての使用制限
昭和14年 「木造建築物建築統制規則」…木造住宅建設についての建て坪規制と許可制度
昭和16年 「木材統制法」 ……

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2016年10月30日

龍次郎さんのこと その15 龍次郎さん、中山忠直と出会う

矢中の杜には、龍次郎さんが集めた掛け軸や屏風などの絵画作品が残されています。
建具に描かれた杉戸絵などと違い、折々に掛け替えるので、一堂に見る事はなかなか叶いませんが、現在、野沢如洋展を開催中で、野沢如洋の作品が数々展示、公開されています。

展示している掛け軸の中の一つに、中山忠直からの贈り物であるという箱書きのあるものがあります。龍次郎さんと野沢如洋画伯との接点は、この中山忠直さんにあったのではないかと思われるのです。

中山忠直さんは明治28年、石川県金沢生まれの昭和期の詩人で思想家。漢方学者としても活躍したなかなか強烈な個性の持ち主だったようです。著書の『漢方医学の新研究 ……

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2016年10月9日

龍次郎さんのこと その14 龍次郎さん、独学する。

紅葉が始まりました。10月22日(土)からは、いよいよ秋のイベント「野沢如洋展」が始まります。龍次郎さんの絵画コレクションから、野沢如洋画伯の作品を展示します。昭和の邸宅で見る絵画展。ぜひおいでください。

さて、龍次郎さんのことです。
満州に渡り、鈴木博士の指導のもと、私立化学研究所で大豆を原料とした建材の研究に立ち向かった龍次郎さん。化学に関する知識は一体いつ習得なさったのでしょうか。専門の学校などで学んだ様子がなく、なぜなのかなあと不思議に思っていた点の一つです。

矢中の杜の本棚に、昭和32年に特許新聞社から刊行された「開都五百年記念 大東京発明家傳」という本が収められていま ……

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2016年9月25日

龍次郎さんのこと その13ー龍次郎さん、鈴木博士に会う

満州大連にわたり、建材の輸入を始めた龍次郎さん。当時は、大変な船舶不足で輸入業務が滞っていたのだそう。
そこで、熟考の結果、「建築材料のような重量のものを輸入に待つのは得策ではない、むしろ現地の原料を化学的に研究して、輸入品を凌ぐ製品を造れば、一挙両得」と、これを関東都督府及び南満州鉄道株式会社に上申。
すると、「稀に見る建設的な意見である」とされ、全面  的に援助されることとなったのです。

明治43年、関東都督府より発明保護奨励金の下附を受け、大連に「私立化学研究所」を設立。この時、龍次郎さん満32歳。のちの油脂加工社(現:株式会社マノール)の前身の設立です。

「私立化学研究 ……

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