2016.07.17

龍次郎さんのこと その7ー龍次郎さんと風俗画報

IMG_0169矢中の杜には、龍次郎さんの友人である南部春邦画伯による杉戸絵をはじめとした作品が、多く見られ、お屋敷の華やかさの要になっています。建材の研究家であった龍次郎さんが、どのような経緯で絵画など文化的な交友を広め、自邸建設に取り入れるまでになったのか。これはまだ解き明かされていない謎の一つなのです。

龍次郎さんは、小学校卒業後上京、野口寧斎塾で学び、その後、明治28年、17歳で東陽堂(神田駿河台)に入社、雑誌「風俗画報」の編集事務にたずさわります。

この「風俗画報」、日本初のグラフ雑誌です。明治22年に東陽堂から創刊され、大正5年までの27年にわたって発行されました。その内容は、江戸・明治・大正の世相・風俗から、文学・事物・地理・戦争・災害などと、あらゆる分野に及びます。

主要な記事には挿絵(石版画、後に写真)がついていて、今のぞいて見ても面白い。「新撰東京名所図会」や「征露図会」などが、テーマ別の臨時増刊号となっており、ムック本のような装いです。現在では、当時の最大の風俗研究資料として知られており、その時代のガイド役になっています。

風俗画報(明治28年正月号)の表紙はこちらから

そんな人気雑誌の制作現場に龍次郎さんはいらしたのです。ハイティーンの青年にとって、いろいろな意味で刺激的な職場だったのではないでしょうか。当時の世相や事物についての記事や挿絵を描く人たちに接して過ごしたことは、好奇心旺盛と思われる龍次郎さんにとって、広い世界を見る窓口となったのではないか。そして、時を経て矢中の杜建設の折にも、その影響があったのではなかったか、などとついつい想像してしまいます。

明治時代に言及した本などを読んでいて、思いがけず「風俗画報」からの引用を見つけると、「もしや龍次郎さんがいらっしゃるころの記事?」などと、本の内容はそっちのけで、急に浮き足立ってソワソワしてしつつ、解けない謎がある面白さを味わうのでした。

次の公開日は7月23日(土)です。
この日は夕方から北条八坂神社の祇園祭。合わせてお楽しみください。

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ナカムラ

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