2016.08.18

矢中の杜活動史 第3回―文化財にしよう

ブログをご覧の皆さま、こんにちは。
“矢中の杜”の守り人、前理事長の早川(公)です。

「矢中の杜活動史」の第3回記事です。
前回の寺尾くんの記事と合わせながら、過去を再構成していきたいと思います。

【前回のあらすじ】
北条商店街にひっそりと佇む謎の豪邸
邸宅の掃除を始めると埃の層に埋もれた豪華な調度品が…
そんななか、女子学生(現事務局長)から持ち掛けられた相談とは…

松浦「ちょっと相談があるんですけど
早川「なに、オヤシキのこと?」

※当時の雰囲気を再現するために旧姓表記しています

松浦さんがあらたまって相談を持ち掛ける時は何かを企んでいる時なのを、ぼくはそれまでの学生から知っていました。
今ホットなテーマは例のオヤシキです。ぼくは松浦さんの次の言葉を待ちました。
松浦「あのオヤシキは文化財的価値がものすごくあると思うんです。
だから、文化財としてあそこを保存することができないかなって」

今でこそ「旧矢中邸」は登録文化財に登録され、地域の文化財としてのイメージですが、当時はまだまだホラーハウス。
敷地の樹木は数十年放置されて太陽光を遮るために薄暗い。
庭園にはびっしりと藪が茂り、ヘビがあちこちでニョロニョロ。
外壁はあちこちで崩れ、倒壊するといわれればそう見えます。

そんな中で「旧矢中邸」は文化財だよという意見。
多くの人は文化財と言われてもきっとピンとこなかったことでしょう。

そして当時、オヤシキを今後どうしていくかについても、始めから確固とした方向性があったわけではありません。
邸宅を知る人からは「料亭にした方がいい」とか「高級旅館にしよう」とか色々な話が出ていました。

実は初めて「旧矢中邸」を訪問した後、所有者の了承を得て県のビジネスプランコンテストに邸宅の活用プランを松浦さんとプレゼンしたことがあります。
その時のアイデアは「コミュニティ・レストラン」。
みんなが集う食の空間をと思ったのですが、今となればだいぶイメージが違いますね(笑)

そんなオヤシキの向かう方向性を示してくれたのが、当時松浦さんの上の言葉でした。
それに対するぼくの回答は、

「…え、文化財にするって、そんなことできるの?」

 

というわけで今回はこのあたりで。
来週は寺尾くんの更新です。


”矢中の杜”の公開は毎週土曜日です。
次回の公開は、8月20日です。皆様のお越しをお待ちしております

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