2016.08.28

龍次郎さんのこと その11ー龍次郎さん、兵士になる

龍次郎さんの生きた時代には、大きく4回の戦争がありました。
最初は明治27年の日清戦争、満16歳の時。
次は明治37年の日露戦争、満26歳の時。
3回目は大正3年の第1次世界大戦、満36歳の時。
そして昭和37年に始まった日中戦争から太平洋戦争へ、これが満59歳からです。

IMG_0150当時は、徴兵制度がありましたから、龍次郎さんも兵役を務めています。
明治22年に徴兵制度が大改訂、満20歳以上の男子は検査を経て、陸軍の場合、現役4年、予備役4年の常備兵役があり、その後、後備役5年が課されます。
龍次郎さんは、近衛歩兵第一聨隊第一中隊に配属され、明治34年12月には陸軍歩兵伍長に累進。そして明治37年、歩兵軍曹に累進し、日露戦争に出征されます。転戦後凱旋し、金鵄勲章を授与されました。

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竹橋陣営

日露戦争では、近衛歩兵第一聨隊は第1軍に編成され、鴨緑江会戦、沙河会戦、奉天会戦を転戦しています。ご存知の通りこの戦争は日本軍の被害も大変大きく、戦死者・戦傷者は、それぞれ約8万4千人、14万3千人となったそう。日清戦争時の戦死者と比較すると、およそ10倍の死者数なのです。

よくご無事で戻ってくれたと思わずにいられません。

大陸への派兵と戦闘参加は、満26歳の龍次郎さんにどんな影響を与えたのでしょう。これについては、妄想好きなファンを自認していても、情けないことにうまく想像できません。平和な時代を生きる身としては、龍次郎さんは厳しい時代を生き抜いたのだなあと想像するばかりで、その時代の上に今があることを忘れずにいようと思うのです。

近衛歩兵第一聨隊は現在の東京都千代田区竹橋に陣営がありました。その竹橋陣営にあった近衛師団司令部庁舎は、現在重要文化財に指定され、「東京国立近代美術館 工芸館」として公開されています。その建物の威容を見上げながら、龍次郎さんもこのあたりを歩いたのかしらと思うことで精一杯なのでした。

矢中の杜、次の公開日は、9月3日(土)です。
9月は通常どおり毎週土曜日に公開です。少しづつ秋が近づく矢中の杜にどうぞおいでください。

ナカムラ

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