2016.10.09

龍次郎さんのこと その14 龍次郎さん、独学する。

紅葉が始まりました。10月22日(土)からは、いよいよ秋のイベント「野沢如洋展」が始まります。龍次郎さんの絵画コレクションから、野沢如洋画伯の作品を展示します。昭和の邸宅で見る絵画展。ぜひおいでください。

さて、龍次郎さんのことです。
満州に渡り、鈴木博士の指導のもと、私立化学研究所で大豆を原料とした建材の研究に立ち向かった龍次郎さん。化学に関する知識は一体いimg_0161つ習得なさったのでしょうか。専門の学校などで学んだ様子がなく、なぜなのかなあと不思議に思っていた点の一つです。

矢中の杜の本棚に、昭和32年に特許新聞社から刊行された「開都五百年記念 大東京発明家傳」という本が収められています。この本に龍次郎さんの功績が一代記とともに紹介されています。
その本の中に、龍次郎さんの化学の知識の取得について、次のように書いてあります。

”野口寧斎塾に学び、東洋精神的教養を深くした。その間天性好むところの化学を独習したが、職を風俗画報社に得て、編集事務に精進することになった。”

なんと独習!天性好むところとはいえ、今現在も使われている建材を開発した基礎は独習、独学だったとは!しびれる話ではありませんか。

満州で指導に当たってくれた鈴木庸生博士は、大豆ベンゼン抽出法、硬化油の製造法と確立し、それぞれ豊年製油、大連油脂工業で企業化されるなどの成果をあげ、オイルシェールからのガソリン製造開発にも関わる当時の先端技術に取り組んでおられた方。鈴木博士のような指導者に出会えたのは、運命的です。

img_0426同じく「開都五百年記念 大東京発明家傳」には
”今や喜寿を越ゆる高齢に達したが、なお研究室に閉じこもって研究を怠らぬ熱心さである。”
とも紹介されています。”天性好むところ”だった化学を使って数々の発明品を生み出し、その後も熱心に研究を続けるとは、なんとも痛快な人生です。

矢中の杜に残る龍次郎さんの数々のお写真、その表情がみんな「どうだ!」と言っているようなお顔であることも納得できることだと思うのでした。(ドヤ顔をちょっとだけ丁寧に言ってみました。)

矢中の杜、次回の公開は10月15日(土)です。
「野沢如洋展」と「めでたづくし文様帖ワークショップ」ももうじきです。
イベントの詳しい内容はこちらから。

ナカムラ

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