2016.12.11

龍次郎さんのこと その18ー龍次郎さん、渋沢子爵邸を施工する

img_1467今回はいつにも増して個人的な推理の域を出ない話です。

龍次郎さんの発明したセメント防水剤マノール。昭和30年に作成された「マノール防水剤 経歴書」のマノール防水施工先には、国会議事堂に始まり、宮内庁、警視庁、歌舞伎座や三越呉服店と当時から様々な建築物に採用されていたことがわかります。その中に、「渋沢子爵邸」という記載もあります。渋沢子爵といえば、渋沢栄一氏もしくは渋沢敬三氏でありましょう。

個人的にではありますが、年代的にみても、先の冊子の施工先として渋沢栄一氏の起こした「渋沢倉庫」の記載も見えることもあり、渋沢栄一邸ではないかと推測しています。

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晩香廬 正面

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青淵文庫 正面

当時、王子の飛鳥山にあった渋沢栄一邸。言わずと知れた近代日本実業界の父の邸宅は、現在は飛鳥山公園の中に旧渋沢庭園として公開されています。明治12年からは公の場として、明治34年からは家族との私的な場としても使用されていたそうで、邸宅内には日本館、西洋館などの幾つかの建物が建っていましたが多くは昭和20年の空襲で消失してしまっています。

その中で、「晩香廬(ばんこうろ)」と「青淵文庫(せいえんぶんこ)」が、当時のままの姿で残っており、国の重要文化財に指定、見学することができます。どちらも清水組(現清水建設)の施工で、晩香廬は大正6年、青淵文庫は大正14年に竣工されているのです。

大正6年といえばまだ油脂化工社は設立されていませんが、満州での私立化学研究所は営業中で、日本国内で開催される数々の博覧会に出展された時期。これは「この2棟の建物にもマノールが使われているのでは!」と思っているわけです。

龍次郎さんの当時の仕事が今も残っており、間近に見学できる。龍次郎さんとの距離がぐっと近づいてくるような気分です。

明確なことがわかる資料を見つけ出せていませんので、あくまで龍次郎ファンの推測の段階ではありますが、矢中の杜以外にも、龍次郎さんが関係したかもしれない当時の建物を、今でも見ることができるとは、面白いことだと思わずにおれません。今回の推理が見当違いであったとしても、今につながる龍次郎さんの仕事はまだまだあるわけで、まったく面白い人だなあと改めて感心するのでした。

次の公開日は12月17日(土)、年内最後の公開となります。
年明けは、1月14日(土)から公開です。

ナカムラ

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