2016.12.22

矢中の杜活動史 第18回—管理人の日々

こんにちは。早川(公)です。
第17回の寺尾くんの設立総会に関する記事について、あんな写真が残っていたことに驚きです。
そういえば寺尾くんは、活動時に沢山写真を撮っていたのが印象的です。
寺尾くんと、現理事長のカメラの写真を総ざらいして過去を振り返ってみたら、きっと面白いだろうな、なんてことを思いました。

第16回のぼくの記事で、今回からは活動について書いていくよ、と予告しました。
何から書こうかな、と思ったのですが、ちょうど第17回で「早川が管理人として住み込むことが決まった」という記事があったので、そのことについて書き出していこうかなと思います。

この住み込み管理人の話。それこそ立ち上げメンバーにとっては当たり前の話でしたが、よくよく考えればぼくが結婚を機に住み込みをやめたのが2012年3月のことですから、かれこれもう4年半以上も前のことなんですよね。

自分で書いてて驚いてしまうくらい(オイ)、昔の話なんですよね〜。

いまは本館玄関入ってすぐ横の、通称「子供部屋」という6畳の空間が、当時の管理人部屋でした。この部屋は今も事務局部屋となっているため一般の方はなかなか目にすることのないのですが、あそこに寝泊まりしていた時代があるんです。

ちょうど玄関横というのもあって応対にも便利で、それこそ今のように体制が整ってない頃には、開け放してある門扉を越えて色々な来客もあったものです。
市内の某料亭の社長と名乗る人がやってきて、「買い取ってやるから持ち主を呼べ」なんてすごまれたこともありました。まあたしかに、そのときは部屋着のジャージで応対した自分も自分ですが(笑)

でも、登録文化財になった今では信じられないかもしれませんが、「復興」の途中では、こうした「招かれざる客」はよくいたものです。

こうして書いていると、当時のことが次から次へとおもいうかんできます。
せっかくなので、管理人時代の「夜」の話は次回に持ち越したいと思います。

それではみなさん、良いお年を。

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