「矢中の杜へようこそ」 邸宅のお宝(かも?)1

これほど豪華な邸宅を建てた龍次郎氏であるから、どこかに金銀財宝が残しているのではないかとは誰もが思う夢であろう。だが残念ながらそんなものは、今の所見当たりはしない。もちろん屋敷や調度自体が、十分お宝なのではあるが。しかし悲しいかな凡人たる我々は、即物的な財宝を夢見てしまうのである。
だが実は価値のあるものがそこに残っていても、それに気付かないだけなのかもしれない。価値を知る人が見れば驚愕のものが、もしかしたらゴロゴロ転がっているかも。これってもしかしてというものを、ご紹介してみたいと思う。知識のある方がご覧になったなら、何かコメントを頂けたら嬉しい限りである。

まずは掛け軸に仕立てられた扇面であるが、文 天祥(ぶん てんしょう)の「正気歌」である。
「矢中先生」の為書きがあることから、龍次郎氏のための書かれたことは間違いないであろう。そして落款は「粛親王」となっているのだが、10代粛親王の愛新覚羅 善耆(あいしんかくら ぜんき)ということになる。粛親王とは清王朝の爵位で、善耆はラストエンペラーである愛新覚羅溥儀(あいしんかくら ふぎ)の時の筆頭皇族である。清朝皇帝退位に伴い旅順に移り住み満蒙独立運動を起こした人物であるが、その当時龍次郎翁はマノールを開発し隣の大連にいたのである。ここからは想像ではあるが、旅順の粛親王府(善耆の邸宅)建造に関わったのではないかと思われる。親日家であった善耆が、マノールの供給に謝意を表したのであろうか。

ちなみに男装の麗人として有名な「川島芳子(かわしまよしこ)」は、川島浪速の養女となった善耆の第十四王女だそうである。

次回の公開日は18日となります。もしかしたら表玄関脇の白木蓮が、花を咲かせ始めるかもしれません。

soraneko

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