龍次郎さんのことーその24 もっと知りたい。

龍次郎さんのこと。もっと、知りたいことがたくさんあります。
野次馬的な関心事から、実際の業績に至るまで、ついつい興味津々になってしまいます。

矢中の杜には、十九夜講の講中の縁台があったり、龍次郎さんが町内会に当時寄贈したものが、戻ってきたりと、実際に残る品物から、北条の街の中での龍次郎さんのことがわかるのではなかろうか。街の中でどのように暮らしておられたのかは大変気になるところです。

会社を起こされ、数々の発明、特許を取られた際、お仲間がおられたはず。
特許書類の中でお見受けするお名前が幾つかあり、また、矢中の杜に残る書類にも手がかりがありそうですが、それはどんな方たちだったのだろうか。

矢中の杜を手がけた棟梁、保科菊二さんを呼んだ経緯はどのようなものだったのだろうか。
建築当時、資材を集めることも大変だったはずで、どんな工夫をなさったのか。
設計する上で、参考にした庭園や邸宅などがあったのだろうか。
など、建築にまつわることで、わからないこともまだまだあります。

また、関東大震災の時はどんな状況だったのか。
その後の活躍は目を瞠るものがありますが、帝都復興の最中、どのような活動をなされたのかはもっと知りたいところ。
また、戦中戦後と厳しい時代、どのように事業を守り、今に続く会社に育てたのだろう。

矢中の杜では、どのように過ごされていたのか。
お好みのお食事は?
残っているレコードは忠臣蔵の浄瑠璃。お好きな音楽や娯楽は?もしや落語に出てくるご大家のご主人のように義太夫を唸っておられたりしたのだろうか。

龍次郎さんの生まれた明治11年は寅年。
んんん、辰年のお生まれではなかったのか。ではお名前の由来は。
などなど。

知りたいからといって総てが解るとも思いませんが、少しづつでも調べていけば、わかってくることも多いと思います。皆さんのお知恵も貸してください。資料を調査し、当時からの噂話や聞きかじりをもっと採取すると、より生き生きとした龍次郎さん像がわかると思うのです。
もし龍次郎さんが生きていらしたら、矢中の杜をどのように使われるのだろうか、と想像しながら、今の矢中の杜を楽しむのも、なかなかオツな見学になるのではないかと思い、ニヤついてしまうのでした。

次の公開日は4月22日(土)です。
5月6日(土)には「御殿まるごとマーケット」が開催されます。
当日一緒にお客様を迎えてくれるボランティアも募集中。
皆さまのお越しをお待ちしています。

ナカムラ

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