*本記事で紹介しておりました、筑波町史に基づく記載について、事実と異なるとのご指摘をいただきました。
この場を借りて、謹んでお詫び申し上げます。
つきましてはご指摘部分の削除と修正の上、改めて残りの記事を公開させていただきます。
関係各位にはご迷惑をおかけいたしました。誠に申し訳ございません。
2019年11月 中村
龍次郎さんが設立に関わられた建築資料協会による「建築資料発達史」には、油脂化工社の代表的製品として「耐久矢中防水スレート」「耐水矢中式陸屋根及防水瓦」が紹介されており、確かに屋根材の製造・販売をなさっていらした。
龍次郎さんの油脂化工社ができた大正から昭和初期は、関東大震災に加え、戦後の不況と度重なる恐慌で、日本経済全体が厳しい状況だった時代。この時代に事業家としても成功され、今なお続く会社を作り上げた秘訣はなんだったのか、伺ってみたかった。時代を見つめ、時代に必要なものを作り出した龍次郎さんの姿勢が、その鍵であるようにも思えます。
時代が変わり、風景も変わっていく中、残っているものがまだまだ多い北条の街。龍次郎さんは矢中の杜に暮らしながら、どのように街に関わっておられたのだろうかと、想像も膨らみます。
龍次郎さんにお話を伺ってみたかったという叶わぬ夢を持つ身としては、龍次郎さんを直接知る方々が、無性にうらやましく思えるのでした。
ナカムラ