2018.04.26

龍次郎さんのこと その33 ー龍次郎さんと家事

矢中の杜は昭和13年から建てられた邸宅で、近代和風建築です。邸宅を見学していると、豪華な装飾や銘木、格式の高い建築様式などが目に止まります。加えて、建具や収納の多さも特徴的。風の通りや換気を十分にとりながら、座敷と台所などのバックヤードをわける建具が設置されていたり、こんなところにも!という小さなスペースに収納が設置されていたりと、細やかな作りです。

明治11年生まれの龍次郎さんのこと、ご自分で家事をなさることなどなかったであろうと思われますが、建てられた矢中の杜を見ていると、家事労働にも理解があったのではと思います。

大正から昭和の戦前までは、家事労働が最も大変だった時代と言われています。明治以降、西洋の生活様式が入ることで、和風と洋風の2種類の暮らしが重なって浸透し、家事そのものが複雑になり、厳しい労働になっていたのです。このような状況を踏まえての矢中の杜の設計ではなかったか。

洗面脱衣室の西側にある建具を開けると、台所(土間)の洗濯スペースにつながっていたり、戸袋の厚みと同じ、薄い収納があったり、トイレにも廊下にもそれぞれに収納がついていて、驚かされます。

龍次郎さんが家事をなさることはなかったにせよ、使いやすい、暮らしやすい建築を取り入れていたのかと思うと「さすが龍次郎さん!」と今までとはまた違う視点で見直してしまいます。

当時は女中さんを雇うことが一般的で、女性の職業として最も多いものだったそう。矢中の杜にももちろん女中さんがおられました。当時を知る方によると、女中さんが龍次郎さんの背中を押して一緒に坂道を登る姿をよく見かけたのだそう。龍次郎さんと女中さんたちの道中を思い描くと、微笑ましいと思いつつ、私も一緒に押したかったものだと羨望が湧き上がり、龍次郎ファンとしては若干悔しい思いになるのでした。

一昨年から始まったブログでの連載企画、矢中の杜活動史、矢中の杜へようこそ、龍次郎さんのことは、今回で定期更新を終わらせていただきます。
担当した守り人たちが、それぞれの思いで更新してまいりました。お楽しみいただけましたでしょうか。

矢中の杜は登録有形文化財です。街の中の生きた文化遺産として、皆で共有するようにしていくためには、建築に込められた精神を評価し、それを継承しようとする意志こそが必要なのだと思います。連載の記事の中にはそんな思いを込めた内容が詰まっています。
また、新たなが何かがわかった時は、こちらでご報告させてくださいね。

どうか引き続き矢中の杜を応援してください。そして矢中の杜を存分にお楽しみください。

ナカムラ

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