龍次郎さんが満州から戻られて、油脂化工社を起こされたのは東京府荏原郡平塚村大字下蛇窪、現在の東京都品川区二葉町です。(*現在の株式会社マノールの本社は東京都足立区です。)大正10年(1921年)のこと。
大正12年9月1日、首都圏を関東大震災が襲います。地震そのものによる被害のほかその後の火災の被害が大きかった東京ですが、東京府荏原郡平塚村の周辺は、大きな火災の被害はなかったそうなのです。開いたばかりの会社のある地域が未曾有の災害でも多少なりとも被害が少なかったことは、不幸中の幸いとも申せましょうか、大変ありがたいことだったでしょう。
とはいえ、大震災と呼ばれる災害は、事業にも暮らしにも大きな影響を与えたことだと想像にかたくありません。そんな中、龍次郎さんは復興に向けて、建築資料協会の創設などの活動始め、事業に精力的に取り組まれたのは間違い無く、かつ高い志でのぞまれた。その意欲に脱帽の思いです。
荏原郡平塚村は古くは孟宗竹の産地として有名だったそうですが、果たして、どのような経緯があってその地を開業の場に選ばれたのでしょう。それについては、まだ調べられていないのですが、是非とも知りたいところです。
その後の震災復興の際、東京府荏原郡平塚村周辺は、東京郊外の宅地化により人口がぐっと増加、その上、機械工業関係の企業の進出で、地域の風景はすっかり変わったのだそう。1926年(大正15年)に平塚村が平塚町に、1927年(昭和2年)平塚町が荏原町に、昭和7年(1932年)荏原郡が東京府東京市に編入され、荏原町は東京市荏原区になり、下蛇窪は下神明町と改称されました。その後も1947年品川区に編入、現在の東京都品川区二葉町になったのです。当時から地名も次々と変遷し、風景も変わったことでしょう。
現在は東急大井町線の下神明駅という駅名に、当時の名残の地名が見られます。今現在は開業当時の面影はあまり残っていないのだろうけれど、一度は訪ねたいところです。その時その時のやらねばならぬことを選び取った上で、積み重ねられたのであろう龍次郎さんの業績を思うと、ファンとしては痺れる思いなのでした。
次の邸宅公開は1月27日(土)です。
写真は先日の大雪後の矢中の杜です。土曜日には消えてしまうかもしれないので、写真でご紹介です。
ナカムラ