旧矢中邸のこと

筑波山麓の南、つくば市北条地区に建つ旧矢中邸(現在の矢中の杜)は、建材研究者である矢中龍次郎氏によって、昭和13(1938)年から28(1953)年まで、15年をかけて建設された昭和の邸宅です。約770坪の広大な敷地内に本館(居住棟)、別館(迎賓棟)の建造物が現存し、その周囲には庭園が広がっています。

建築の背景には、矢中氏の「永年の研究、発明成果を適用し、木造のモデル住宅を作る」という想いと、「皇族が休息できる迎賓空間を設える」という意図がありました。そのため旧矢中邸は、伝統的な和風建築をベースとした上で、矢中氏の研究成果が反映された独特の構造や材料が取り入れられています。内部には、近代の上流階級において流行した和洋折衷様式を採用し、格式の高く、豪華絢爛な意匠が随所に見られます。

邸宅内には当時の調度品が多数残っており、旧矢中邸は昭和の生活空間を体現する貴重な文化遺産で歴史的建築です。平成23(2011)年に国登録有形文化財に登録されました。

令和5(2023)年9月、日本の気候風土に配慮した実験的な住宅としての学術的な意義や、優れた意匠が改めて評価され、国指定重要文化財に指定されました。

本館(居住棟)

居住棟として建てられた本館は、木造平屋建で、一部に大谷石造の地下室もあります。特徴的な陸屋根や山吹色の外壁のほか、随所に設けられた通気口、部屋ごとに異なる建具、建設当時のまま残る調度品や設備など、多様な魅力に満ちています。

別館(迎賓棟)

別館は「皇族のような上流階級の人々を迎賓できるように」という意図で建てられた迎賓棟です。構造は、1階は鉄筋コンクリート造、2階は木造となっており、内部には豪華絢爛で格式高い意匠が随所に見られます。ずらりと並んだ色鮮やかな板戸絵、サクラやケヤキ、スギなどの見事な銘木、天井高の高い空間づくり、特注の調度品など、見所につきません。本館同様、矢中氏がこだわった通気の工夫が至るところに配されています。

実験住宅として

矢中の杜の大きな特徴は建材研究家であった矢中氏が、日本の風土を考えて、作り上げた実験住宅でもあることです。モダンな意匠の中に、日本の高温多湿の風土に適した木造住宅を活かし、そしてそれを長持ちさせるための換気や通風、防火の工夫がなされています。

施主 矢中龍次郎氏

北条出身の矢中龍次郎氏は、セメント防水剤「マノール」をはじめとした建材の研究家であり、油脂化工社(現在の株式会社マノール)を創業した実業家です。晩年に至るまで、建材の研究や発明、製品化に従事しました。昭和11年に帝国発明協会から表彰を受け、昭和30年には紫綬褒章を受賞するなど、多大な功績を残しています。

“矢中の杜”ができるまで

矢中氏は昭和40(1965)年に亡くなるまでを完成した邸宅で過ごしましたが、矢中氏の死後数年経つと家族も邸宅を離れ、以後約40年間にわたって邸宅は空き家状態となってしまいます。

平成20(2008)年、矢中家から現所有者である森氏に所有が移ると、邸宅にも転機が訪れました。空き家状態が長く邸宅・庭園とも荒れ放題になっていましたが、のちにNPOを構成するメンバーも加わり、少しずつ掃除をし、公開・見学ができる状態にしていきました。邸宅・敷地を合わせた空間を新旧の所有者にちなんで“矢中の杜”と名付け、地域の文化遺産として、再スタートを切りました。

管理運営は、「NPO法人“矢中の杜”の守り人」が担い、ボランティアによって支えられています。