邸宅お掃除

約40年間にわたって空き家となっていた旧矢中邸は、邸宅・庭園とも荒れ放題となっていました。平成20(2008)年秋から有志で掃除を始め、一部屋ずつきれいにし、使えるようにしてきました。邸宅清掃は“矢中の杜”の活動の原点であり、NPOの活動の大切な柱として位置づけています。

現在は定期的な清掃活動のほか、空き時間などを活用して、NPO会員や地域の方々、ボランティアの方々を交え、邸宅や庭園の清掃活動に取り組んでいます。手を付けられていなかった部屋の清掃や、米ぬかを利用した床磨き、庭園の除草や植栽・整備などを行っています。

邸宅のお掃除

文化財の掃除というと何やらハードルが高そうに感じるかもしれませんが、特別なことはありません。掃除という誰にでもできる身近なことの積み重ねが、文化財の保存につながっています。日常的な掃除をコツコツと続けることで、邸宅の変化や不具合に早期に気づくことができます。

旧矢中邸での掃除の風景をいくつかご紹介します。

床板のぬか雑巾がけ

米ぬかを布に入れ、床板をギュッギュッと磨くことで、自然なツヤを出しています。

旧矢中邸の床板は、欅の一枚板など大変貴重な材木を使ったところが多く、掃除の方法にも気を使います。水で濡らすとシミになってしまいますし、市販のワックスやニスなどは使えないので、昔ながらの方法で掃除しています。

庭の草取りや植栽・整備

邸宅の広大な庭は、建物を彩る重要な要素。往年は毎日庭師さんが2人ずつ入って手入れをしていたという庭は、日本全国の銘石を集めて造り上げた立派なつくり。

ただし、放っておくとあっという間に雑草が伸び放題になってしまいます。春から秋にかけては庭の雑草取りも重大な作業。ただの草むしりも、みんなでワイワイしながら広い庭の整備をやり遂げると達成感のあるもの。邸宅の見栄えも、邸宅からの眺めも、がらっと変わります。

また、約770坪の広い敷地には道路からのアプローチ空間や奥庭もあり、こちらは空間の魅力を高めるとともに有効活用が望まれる空間になっています。現在、敷地のアプローチを飾る立派な版築(はんちく)の塀は、NPO会員の造園屋さんの指導により、ワークショップ形式で整備したものです。邸宅の建物が道路から奥まった場所にあるため、邸宅へと誘導するアプローチ空間の整備が長年課題になっていました。このように、庭の手入れに加えて、敷地空間の魅力を高める整備も進めています。

令和3(2021)年には、広大な庭園を楽しみながら整備し発展させるため、「庭倶楽部」が発足しました。会員・非会員を問わない庭好きが集まるゆるいサークルで、定期的に草取りなどの整備をしたり、庭師の親方に剪定の仕方を習ったり、竹を刈って衝立やサイクルスタンドを制作したり、土作りを学んだり、とそれぞれがアイディアを出し合いながら邸宅の変化を楽しんでいます。

年末大掃除

年に一度、大掃除の日を設け、普段は手の届かないところまできれいにしています。年により場所を変え、窓ガラスの拭き掃除や床板の糠雑巾がけ、神棚の掃除、庭園の手入れなどをしています。メンバーみんなでわいわいと賑やかに掃除をすると、時間が経つのもあっという間。掃除したところは見違えるようにピカピカになり、清々しい心地で一年の活動の締めくくりとなります。

活動当初の掃除の記録

約40年間、空き家だった邸宅は、屋内は埃だらけ、庭は雑草や灌木に覆われて見る影もない状態でした。そこから少しずつ掃除してきた様子をご紹介します。

屋内

毎週1部屋ずつ、「今日はこの部屋をやろう」というふうに決めて、1日かけてきれいにしていきます。床はもちろん、天井、壁、建具、と全てが40年分の積み重ねを纏っているので、まずハタキをかけ、天井から柱から全て拭き上げます。最後に床に溜まった埃やゴミを掃き取り、畳を拭き上げ、完了です。

慣れてきた後半はペースも上がり、複数の部屋をこなせるようになったでしょうか。

そんな作業だったので、邸宅用に用意した掃除機は埃を吸いすぎて、かなりくたびれてしまいました

邸宅内は埃だらけなので、とても靴下では歩けません。室内用にスリッパを用意し、邸宅内はそれを履いていました。1日かけて掃除し、畳も拭き終わった部屋はスリッパ無しで上がれるようになります。「掃除完了」のサインです。こうして、今週はこの部屋、翌週はこの部屋、と順番にスリッパを履くスペースが減っていき、ついに無くなって今に至ります。

ある日の本館座敷の掃除風景をご紹介しましょう。

上の方の埃をハタキで落とし、

障子の桟も拭いていきます。造りが細かいので、作業も大変!

襖も汚れているので、傷つけないようにそっと拭きます。

畳も拭きます。

窓や建具のレールも拭きます。屋外に面する部分は長年の土汚れもついているので、よく磨きました。

最後に仕上げの掃除機をかけて、

見違えるようになりました! 立派なお座敷が復活です。

ところで、拭いたり洗ったりする作業をすると、その部分を見る時間も長くなります。建具を拭いたり、電球の傘を洗ったりするうち、その部品を観察することにもなります。そうした作業や、参加者どうしの会話で、邸宅の新たな姿に気づいたりもしました。欄間の形が場所ごとに全然違っていて細工が非常に細かいこと、細かなところまで無双窓になっていることなど、掃除を通して発見したものです。

意外な発見もありました。朝邸宅に着くと、まず邸宅中の雨戸を開けますが、その拍子にあちこちからヤモリが飛び出して来ます。40年以上も空き屋になっていたので、中は埃だらけ・虫だらけになりますが、その虫たちを食べていてくれた「家守」なのですね。初めはびっくりしましたが、そんな話を聞くと、その独特の歩き方やよく見ると可愛らしい姿から、なんだか可愛らしく見えてきます。今では邸宅でもほとんど見なくなりましたが、当時は日に何度も見たものでした。

庭園

矢中龍次郎氏がご存命の頃は、毎日庭師さんが2人ずつ入って手入れをしていたという立派な庭園ですが、40年間手入れがされなかった結果、掃除前の築山はこのような状態でした。

この築山は、日本全国から名石を取り寄せて築き上げ、石の間には五葉の松が隙間無く植えられていました。石は残っていましたが、雑草が背丈ほどもびっしり生えているだけでなく、築山の上のほうには笹がびっしりと密生し、石の隙間からも雑草や低木が生え、また蔓生の植物が山肌を覆い、石も樹木もみな隠されてしまっていました。

この写真は築山の奥から邸宅に向かって写したもの。古写真と比べると、どれだけ荒れていたかがわかります。

そんなわけで、少しでも見栄えを良くするため、屋内の掃除と並行して屋外の草刈りも進めました。雑草を刈るだけでなく、いらない低木を伐採したり、笹を刈ったり、蔓を取り除いたりという作業もあります。雑草は根っこから引っこ抜いていけば良いのですが、石の隙間から木が生えてしまった箇所は、根っこまで抜いてしまうと隙間ができて不安定になるので、根は残しておきます。

築山は蔓がびしっと覆っていて、そこに雑草もびっしり絡まり、全体がつながっていたので、なかなか少しずつ刈るということができません。繋がった蔓も草も根こそぎ絡めとりながら縦一列に刈り下りていくと、地上に下りる頃には一抱えもあるような蔓草の山になります。

刈った草の山は市のクリーンセンター(ごみ焼却場)に運んで処分しました。多い日には日に3往復もしたものです。

また長年の落ち葉が堆積して土になり、土の厚みが増して庭のしつらえも埋もれていました。現在見られる踏石も、地表の土をすき取って出てきたものです。

庭の小川や、玄関前の枯池も、初めは中が全て土で埋まっていて、シャベルで少しずつ掘り出して“発掘”しました。

ひたすら力仕事で土を掘る作業なので、当時メンバーでは“発掘”作業に当たるチームを「土木部」と呼んでいました。

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以上、当初の掃除の様子は守り人ブログ連載記事「矢中の杜活動史」投稿記事から一部改稿して引用しました。ご興味のある方は、ぜひ連載記事もご覧ください。