2016.11.03

矢中の杜活動史 第13回—土木部のこと

こんばんは。
先週は早川さんが急用のため休載となりました。楽しみにしていらした読者の皆様にはすみません。
今回は、引き続き屋外編。「土木部」のことをお話しします。

「土木部」と聞くとびっくりされるかもしれませんが、矢中の杜の男手で土堀りなどをして発掘作業するのを土木部と呼んでいました。コンクリートを練って土留めを造ったり…まではしていません。やってみたいですけどね。

なぜ土堀りをするのか。それは、掘ると何かが出て来るからです。宝探し。ここ掘れワンときたところを掘って一攫千金。というのは半分冗談で、長年の落ち葉の堆積で土の嵩が増え、創建当初にあったものが土に埋まってしまっているからなのですね。狙いをつけて掘って行き、庭の遺構が発掘されると、発見した喜びと、当時のことがまたひとつ明らかになり、庭が少しずつ蘇って行く感慨はひとしおです。だから、宝探しは半分本当。また発掘作業は考古学のようでもあります。

そんな我々が「土木」したところをいくつかご紹介しましょう。まずは中庭の小川と池。築山に沿って石が並んでいますし、「ここに川と池があった」という話は矢中家の方から聞いていましたから、当時はどうなっていたんだろうと興味が湧きます。そんなわけで、ある掃除の日にみんなで一斉に掘りました。道具はシャベルと工事現場用の一輪車(なぜか猫といいます)のみ。見た目そんなに深さがなさそうなのに、掘ってみると意外なほど土の量が多く、掘り出した土を一輪車に載せて仮置き場との間を何度も行き来します。
数時間の発掘作業の末、池と川の底が姿を表しました。ご覧のとおり、コンクリートで底を固めてありました。当時川底に何かを敷いてあったのかどうかなど、さらに調査が必要ですが、このように形が見えることで、大きな発見となりました。
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この日は、現理事長のsoranekoさんが初参加でした。
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みんなで食べるカレーはうんめぇんだぁ。

続いて大きなところでは、前庭の枯れ池です。やはり大きな石が並んでいましたし、古写真も残っていましたから、池があったということはわかっていました。ここを「土木」したのは2010年のGW。この大きな池は底がどうなっているか分からなかったので、どこまで掘れば良いかもわかりません。4人しかいなかったので、1日では終わらないだろうと思っていましたが、何か痕跡が見つかると俄然やる気が増してきて、1日で完成しました。ここは中庭とは異なり、小さな玉石を敷き詰めた、少し変わった形をしていました。いやはや、我ながらよく掘ったなあ。
この池は、枯れ池だという話と、水が入った池だったという話が入り交じっていましたが、発掘された底の形も後押しとなり、さらなる聞き取りから枯れ池と決着しました。
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シャベルで掘って、一輪車で運ぶことを繰り返します。
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運び出した土の山。
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思わぬお客さんも登場します。かぶと虫の幼虫は、土堀りをすると本当にたくさん出てきました!
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完成! 感激もひとしおです。

中庭の踏み石も「土木」で発見されました。そのとき僕はいなかったのですが、古写真に踏み石があったので、表層の土を掘ったら立派な踏み石が出てきたのでした。当時よりも土が増えているところは、同様に何かが出てくるのかもしれません。

その他、雨水枡が土で詰まっていたのを直したり(ぬかるみが解消されました)、築山の中から滝に流す水栓が見つかったりと、「土木」したところは多数あります。敷地の入口アプローチ部分も、昔は住居があり、旧矢中邸への通行路にもなっていたので、掘ってみると色々出てきそうです。一度塀を造ろうとして掘ったら踏石が出てきたので中止になりました。残された大きなフロンティア(?)なのですが、通行や車両出入りの問題から手がつけられていません。

そんな「土木部」、まだ終わってはいませんよ。対象があれば、まだまだ続きます!


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