2020.02.08

龍次郎さんのこと その35 龍次郎さんと蔵田さん

矢中の杜の杉戸絵を描いた南部春邦画伯。龍次郎さんとの出会いは1933年のブルーノ・タウト氏の日記に出てくる「蔵田氏」がもたらしたのでは。という推測を前回ご紹介しました。

日記に出てくる「蔵田氏」とは南部春邦さんの甥御さんの蔵田周忠(クラタチカタダ)さんのこと。建築家、建築評論家、編集者、教育者、さらには民家研究者、家具デザイナーなど、幅広い活動をした、多才で努力の人と言われています。

この蔵田さん、大正11年(1922)の「平和記念東京博覧会」に技術員として参加しています。そうです、龍次郎さんがマノールを提げて参加した、上野で開催された「平和記念東京博覧会」です!この共通点から[……]

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2020.01.19

龍次郎さんのこと その34 龍次郎さんと春邦さん

矢中の杜を彩る杉戸絵、描いたのは南部春邦画伯です。

南部春邦さんと龍次郎さんは、親しく交流があったといわれています。
その南部春邦さんが、ブルーノ・タウト氏の日記に登場しているのを守り人が発見してくれました。

9月21日(木) 東京ー南部春邦氏
蔵田氏といっしょに同氏の伯父にあたる日本画家南部春邦氏を訪ねる。引用:「日本 タウトの日記 1933年」

1933年のブルーノ・タウト氏の日記には、上の記述からはじまる、南部春邦さん宅訪問の様子が描かれています。それによるとタウト氏は南部春邦さんのお宅を訪問し、その淑やかさに感銘を受けたそうなのです。

タウト氏(1880年~1938[……]

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2018.04.26

龍次郎さんのこと その33 ー龍次郎さんと家事

矢中の杜は昭和13年から建てられた邸宅で、近代和風建築です。邸宅を見学していると、豪華な装飾や銘木、格式の高い建築様式などが目に止まります。加えて、建具や収納の多さも特徴的。風の通りや換気を十分にとりながら、座敷と台所などのバックヤードをわける建具が設置されていたり、こんなところにも!という小さなスペースに収納が設置されていたりと、細やかな作りです。

明治11年生まれの龍次郎さんのこと、ご自分で家事をなさることなどなかったであろうと思われますが、建てられた矢中の杜を見ていると、家事労働にも理解があったのではと思います。

大正から昭和の戦前までは、家事労働が最も大変だった時代と言われ[……]

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2018.02.08

龍次郎さんのこと その32ー龍次郎さんと衛生

龍次郎さんの書かれた文章や、記事を見ていくと、「公衆衛生」という言葉や考えが度々出てくることがわかります。公衆衛生とは、人が健全に生活できるための社会活動のこと。龍次郎さんが生きた時代、公衆衛生への対策は近代化の大きな柱の一つでもあり、病気から個人や社会集団を予防するためのシステムとなったのです。「衛生」という言葉は、一種の流行でもあったのだそう。

明治以来、国内でコレラが流行するなど、海外からやってきた新たな病原菌への対策が必要となり、何よりも文化的に西洋に追いつくよう、西洋風の公衆衛生の考え方が取り入れられたのだそう。新しい概念である「衛生」を広く人々に宣伝するための啓蒙機関として明[……]

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2018.01.25

龍次郎さんのこと その31 ー龍次郎さん、荏原へ

龍次郎さんが満州から戻られて、油脂化工社を起こされたのは東京府荏原郡平塚村大字下蛇窪、現在の東京都品川区二葉町です。(*現在の株式会社マノールの本社は東京都足立区です。)大正10年(1921年)のこと。

大正12年9月1日、首都圏を関東大震災が襲います。地震そのものによる被害のほかその後の火災の被害が大きかった東京ですが、東京府荏原郡平塚村の周辺は、大きな火災の被害はなかったそうなのです。開いたばかりの会社のある地域が未曾有の災害でも多少なりとも被害が少なかったことは、不幸中の幸いとも申せましょうか、大変ありがたいことだったでしょう。

とはいえ、大震災と呼ばれる災害は、事業にも暮ら[……]

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2017.11.23

龍次郎さんのこと その30-龍次郎さん、冬を過ごす

矢中の杜で毎週土曜日に開催しているガイドツアー、必ずご説明するのが、邸宅全体に施された換気の工夫です。
建材の研究家である龍次郎さんは、ご自身が建てる邸宅を千年住宅として計画されました。日本の気候には木造建築が最も適している、その上で、その弱点を克服する工夫を凝らして、長くつかえる建物を、と設計されたのです。
木造建築の大敵である湿気を、室内から屋根裏、そして外部へと排気して、木材や他の材料を守る工夫は、見事なまでに大活躍。静かに現在も邸宅を守ってくれています。

ですが、換気量が多いということは、冬の外気を取り込む量も多いということ。しかも穏やかな気流が発生しているはずなので、冬場の[……]

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2017.08.31

【修正】龍次郎さんのこと その29

*本記事で紹介しておりました、筑波町史に基づく記載について、事実と異なるとのご指摘をいただきました。
この場を借りて、謹んでお詫び申し上げます。

つきましてはご指摘部分の削除と修正の上、改めて残りの記事を公開させていただきます。

関係各位にはご迷惑をおかけいたしました。誠に申し訳ございません。

2019年11月 中村

龍次郎さんが設立に関わられた建築資料協会による「建築資料発達史」には、油脂化工社の代表的製品として「耐久矢中防水スレート」「耐水矢中式陸屋根及防水瓦」が紹介されており、確かに屋根材の製造・販売をなさっていらした。
 
龍次郎さんの油脂化工社ができた大正[……]

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2017.07.27

龍次郎さんのこと その28ー龍次郎さん、夏を考える

暑い日が続いています。加えてこの湿気!
日本の夏の特徴とはいえ、今年は格別なようです。

矢中の杜にはクーラーがありません。その代わり、湿気をためこまない工夫が建物全体に施され、さらりとした空気と吹き抜ける風が涼を感じさせてくれます。

満州で私立化学研究所をおこした龍次郎さん、その後日本に戻り、大正10年に油脂化工社を設立。セメント防水剤「マノール」を引っさげての帰国ですが、そのきっかけの一つとなったのは日本の気候、特に夏の多雨多湿の気候です。

以前もご紹介した龍次郎さんの著した冊子「風土と建築」にも、防水、防湿がいかに日本の建物にとって大切かが切々と訴えられています。
人体への影響、貯蔵[……]

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2017.07.06

龍次郎さんのことーその27 龍次郎さんの本棚、続き。

前回に引き続き、矢中の杜の本棚にある本を見てみましょう。
本棚を開けてみると、吉川英治の本も多く、さすが当時第1線の人気作家だと思えます。他に実用書の類、歴史小説などが収められています。
それらの中に、「小学生の学習事典 五年生」が残っています。
もちろん子供向け。本棚の中では少々異色です。

先日龍次郎さんのご親戚で、当時の矢中の杜に暮らしておられた方が、訪ねてきてくださいました。色々と貴重なお話を伺えて、ありがたいことでした。そのお話の中に、子供の頃、龍次郎さんに、勉強を教わったという思い出が!

「新聞を読んで、わからない言葉があれば、そこに線を引いて、後で調べるようになさ[……]

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2017.06.22

龍次郎さんのことーその26 龍次郎さんの本棚 

矢中の杜は、昭和の邸宅として、豪華な姿を見せてくれますが、なぜだか妙に居心地がいいとよく言われます。その感覚の元になるのは、当時の調度品がそのまま残されていて、暮らしが垣間見えることにあるのではないでしょうか。

本館にある書斎には本棚が二つあり、中には本も残されています。
通常は非公開ですが、本棚を開けて、まず目につくのは将棋と囲碁の本。
特に将棋に関する本は「将棋大観 上・下巻」「これを読めば必ず強くなる 最新将棋必勝法」「将棋一路」「将棋の急所(平手編)」などなど数冊見つかります。

 これら全てが龍次郎さんのものなのかどうかは、わかりませんし、ご家族の本かもしれません。[……]

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