龍次郎さんのこと その32ー龍次郎さんと衛生

龍次郎さんの書かれた文章や、記事を見ていくと、「公衆衛生」という言葉や考えが度々出てくることがわかります。公衆衛生とは、人が健全に生活できるための社会活動のこと。龍次郎さんが生きた時代、公衆衛生への対策は近代化の大きな柱の一つでもあり、病気から個人や社会集団を予防するためのシステムとなったのです。「衛生」という言葉は、一種の流行でもあったのだそう。

明治以来、国内でコレラが流行するなど、海外からやってきた新たな病原菌への対策が必要となり、何よりも文化的に西洋に追いつくよう、西洋風の公衆衛生の考え方が取り入れられたのだそう。新しい概念である「衛生」を広く人々に宣伝するための啓蒙機関として明治16年には「大日本私立衛生会」が発足し、一般にも衛生唱歌が歌われるなど、その普及に力が入れられました。

その後の大正期は明治以来の近代化の推進により、より高度な建築様式を実現しようという動きが始まった時期。龍次郎さんも明治以来の様々な衛生手法に加えて、コンクリートの防水という素材の質を上げる「セメント防水材マノール」を世に出し、建築物を湿気から守ることで公衆衛生に寄与したわけで、何とも見事に時代に沿った発明をなさったものだと、感心してしまうのです。

大日本私立衛生会雑誌の中で、北里柴三郎らは、国内で起こったペスト流行への方策のひとつとして「家屋改良」を訴えています 。床下に金網を回す、土台下を コンクリートでたたく、台所の流し口を金網で塞ぐ、天窓で 屋根裏に光を入れるなど、菌を媒介する鼠の侵入路と 居場所をなくす方法が考案されました。

矢中の杜でも、天窓こそないものの、これらの設備がなされています。様々なところに貼られた金網は、湿気を逃がしながら、害虫や鼠を防ぎ、健康的に過ごせるよう配置されたものと言えましょう。矢中の杜の台所流しの排水口の金網は、今の感覚ではちょっと物足りない感があるのですが、当時の基本をしっかりと押さえているのだと思うと、その小さな金網を何やら応援したくなるのでした。

次の邸宅公開は、2月10日(土)です。
立春も過ぎて春の準備が始まった矢中の杜に、どうぞおいでください。

ナカムラ

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