2020.01.19

龍次郎さんのこと その34 龍次郎さんと春邦さん

矢中の杜を彩る杉戸絵、描いたのは南部春邦画伯です。

南部春邦さんと龍次郎さんは、親しく交流があったといわれています。
その南部春邦さんが、ブルーノ・タウト氏の日記に登場しているのを守り人が発見してくれました。

9月21日(木) 東京ー南部春邦氏
蔵田氏といっしょに同氏の伯父にあたる日本画家南部春邦氏を訪ねる。

引用:「日本 タウトの日記 1933年」

1933年のブルーノ・タウト氏の日記には、上の記述からはじまる、南部春邦さん宅訪問の様子が描かれています。それによるとタウト氏は南部春邦さんのお宅を訪問し、その淑やかさに感銘を受けたそうなのです。

タウト氏(1880年~1938年)はドイツの建築家で、ナチスの迫害を逃れ、1933年に来日、1936年まで滞在されています。桂離宮や伊勢神宮、白川郷の合掌造りの集落などを称賛したことでも有名。京都桂離宮に近代建築に通じる美があることを説き、日本の建築と美術に深い理解を示し、今に続く影響を与えた方です。

タウト氏を案内した「蔵田氏」とは、蔵田周忠(クラタチカタダ)さんのこと。南部春邦さんの甥御さんに当たるこのかたは、龍次郎さんがマノールを提げて参加した、大正11年(1922)の「平和記念東京博覧会」に、「技術員」として参加しています

こうなるとこの蔵田氏を通して南部春邦さんと親交が始まったのではなかろうかと推理したくなり、龍次郎ファンとしては鼻息が荒くなるところであって、久しぶりの「龍次郎さんのこと」更新となりました。

龍次郎さんと南部春邦さん、お二人がどのように知り合ったのかは、わからないままになっておりました。

矢中の杜にはご存知の通り、杉戸絵始め額や軸など南部春邦さんの作品が多く残っており、今も美しく、華やかな魅力をはなっています。
矢中の杜建設の際に、住み込んで絵画の制作をしたという話も残っていて、南部春邦さんは矢中の杜フリークたちにとって、もう一人のアイドル的な存在。

お二人の接点はなんだったのかという、知りたかった謎に迫れる事実に、興奮しきりになるのでした。

ナカムラ

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