2011.10.27

「コクリコ坂から」を見て

こんにちは。
minaです。
久々に映画を見ました。
今更?と思われるかもしれませんが、「コクリコ坂から」を。
ジブリ好きというのももちろんあるんですが、実は前から友人たちに「あの映画は矢中っぽい」という、なんとも気になるフレーズを聞かされていたんです。
ちょうど用事の合間に時間が取れたのと、もう上映終了間近というのを知ったことで、鑑賞にいたりました。
観て思ったこと。
「私にとってちょっと特別な作品になりそう」
…別にヒーローの男の子にきゅんとしたとかではないですよ。
みんなから言われたように、なんだかホント「矢中っぽかった」んです。
まぁ先にみんなにそう言われていたから、余計に意識して観ちゃった部分もあるかもしれませんが…。
主人公が暮らす家の台所、家財道具、部屋の雰囲気。
そこかしこに旧矢中邸にもあるものが出てきます。
「うわー、あの机と全く同じもの、使ってるわー」とか「タイル張りの流しー!」とか。
映画の時代設定は「昭和」ですしね。
この映画、矢中で実写版撮れるんじゃないかな。
宮崎さん(父子)、一度矢中に来てもらえるといいのに…なんて思ったり(笑)
(あ、もう上映終了間近という映画なので、多少のネタばれは大丈夫かと思って書いてますが、ご了承くださいね)
しかも、学校ではみんなが親しみ馴染んできた古い建物の取り壊しに反対すべく、学生たちが自主的に掃除をして、その保存を訴えるなんてストーリー展開。
まさか文化財保存の面でも重なるなんて。
掃除を言い出したのは主人公の女の子で、その子はなんともいえぬ幸運を持っていて、その幸運が建物の保存に少なからず影響していくんですよね。
掃除のシーンなんかは、私が2年半前から始めたことを走馬灯のように映している感じでした。
私も、どうなるかもわからないけど、ひとまず掃除を始めて、そこからいろんな人の縁に恵まれて、ここまでやってきたなぁ、なんて思いながら観ていました。
なんでしょうね。この気持ち。
「共感」とも違うんです。
「感慨深い」というのが一番しっくりくるかな。
うん。
また、文化財保護の面からも、この映画でいいなぁと思ったのは、その建物を使っている学生たち自身が「守りたい」と強く思って、それを掃除という形で行動で示していること。
文化財というのは、何よりそのモノの所有者やそれを利用する人が「残そう」と思わないと成り立たないんです。
どんなに周りが価値がある、残した方がいいといっても、最終的には所有者に判断はゆだねられます。
文化的価値の高いものでも、所有者の意向で壊されていく建物は全国にもたくさんあります。
そして、たとえ所有者を含めみんなが守りたい、残したいと思っていても、思うだけでは保護につながりません。
それを行動に移していかないと、古いものは朽ちていくばかりです。
この映画では学生たちがしっかりそれをやっていました。
だから建物は壊されず、蘇りました。
さらに言うと、この映画でいいなと思ったのは、行動に移したのが資金のない学生たちだったこと。
お金がないからこそ、知恵と苦労、そして建物に対する気持ちがこもった「掃除」からスタートになったんですよね。
掃除をすると建物に対する愛着が深まり、その様が周囲の人々の心を打つ。
もちろん、建物の保存のためにどうしたってお金は必要です。
でもはじめからお金があると、苦労もないままあっという間に修理して建物をキレイに蘇らせることができるかもしれないけど、そこには上のような物語は生まれないかもしれません。
結果として建物が残ったとしても、その背景にこの学生たちのような物語があるのとないのとでは、その後の建物の保存にも必ず違いが出てくると思います。
日本における文化財保護はこれまで様々な変遷をたどってきていますが、これからの文化財保護に求められてくるのは、こういう部分だと思っています。
身近なモノを身近な人々が、どうやって残していくか。
私もこの課題を日々考えながら、今後も活動に励みます。
【おまけ:矢中の掃除を始めたころの様子。押入れの中を全部出して整頓中。懐かしいなぁ】

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