2019.07.20

“矢中の杜”をはじめた守り人の話 3 -“矢中御殿”の所有者が変わった!!!!!とざわつく-

こんにちは。井上です。

今回は、前回記事で書いた初めて邸宅を訪れた時より、少し前の話。

どうして、私が新しいオーナーと一緒に邸宅を訪れることになったのか、その経緯について書きたいと思います。

前回の記事で書いたように、私が邸宅を初めて訪れたのは2008年でした。

その前年の2007年の春から、私は北条地区に学生の立場で関わっていました。

大学のゼミの先輩である早川さん(後のNPO初代理事長)に誘ってもらったのがきっかけで、早川さんが立ち上げた有志の学生グループ「チームごじゃっぺ」の一員として、北条のまちづくりに参加していたのです。

その頃の北条地区は、商店街を中心とした街の衰退に歯止めをかけ、再び賑わいを取り戻すために、地域づくりについての議論や取り組みが本格的に活発化していた時期でした。

地域活性化を担う新しい主体としての「北条街づくり振興会」の設立や、地域の情報発信および交流拠点としての「北条ふれあい館」の立ち上げ、「北条米スクリーム」の開発、「北条市」の復活など。

大学構内では絶対に経験できないことばかりで、目まぐるしく動いていく地域の様子に、いろんな意味で刺激を受ける日々を送っていました。

元々「文化遺産の保存活用」というのを研究テーマにしたいと思っていた私は、地域の文化資源を活用して活性化を目指す北条地区の取り組みは、とても興味深く、実際に卒論のフィールドにもしたほどでした。

北条のまちづくりに参加し、地元の方々とも交流する中で、時折「矢中御殿」という名前を耳にすることがありました。

なんでも、北条に「御殿」と呼ばれるほどの豪邸が残っているが、空き家で誰も手が出せないまま放置されている…と。

所有者も北条にいるわけではないので、地域の方々も実際のところ邸宅の状況についてはよくわかっていない、という話でした。

その時は「へぇ~、そんな建物があるんだ」と興味はそそられましたが、地元の方々もどうにかすることとができない建物なら、現状どうにもならないことなのだろう、自分が関わるということはなさそうかな…、と思っていました。

(地元の方と大学の建築関係の方が見学した、という話を聞いたことがありますが、私は参加しておらず、詳しいことはわかりません)

…しかし!

ある時、周りの方々がざわついたのです。

「矢中御殿の所有者が変わったらしい!!!!」

と。

なんと!何十年も空き家だった建物の所有者が、このタイミングで変わるとは…!

おもしろいことが起こるもんだなぁ…。

と思っていたところ、さらに面白い話が私のところに舞い込んできました。

北条の活動にかかわる中で知り合いになったFさん(北条の住民ではないが、つくば市民の男性)が、矢中御殿の新しいオーナーとたまたま昔からの知り合いだというのです。

そのFさんが「(新オーナーが)矢中御殿の所有者になったはいいものの、これからどうしたらいいか悩んでいるから、北条に関わっている若いエネルギーのある学生でもし興味がある人がいれば、紹介するよ」と私に声をかけてくださったのです。

えええー!そんなことってある!?

とても手の出せないといわれていた御殿に、まさか自分が関われるチャンスが来るなんて!!?

まさかの展開に興奮しながら、二つ返事でお願いしました。

もし、新オーナーとFさんが元々の知り合いでなかったら…

Fさんが北条の街づくりに関わってなかったら…

私がこのように矢中の杜の活動を始めることはおそらくなかったでしょう。

不思議なご縁がつながって、前回書きました、邸宅の初訪問に至ったのでした。

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