2016.09.11

龍次郎さんのこと その12 龍次郎さん、穴原商会へ

img_0365日露戦争から無事凱旋された龍次郎さん、明治38年、「穴原商会」に入社します。
翌明治39年には同社の大連支店長として、大連に赴任。当時の船舶不足で輸入が間に合わず、別事業にあたるために「矢中商会」を設立し、輸入業を行います。龍次郎さん、満28歳の時のことです。

この満州へのきっかけとなった「穴原商会」、建材の輸入から始まった会社で、今に至る日本の建材業界の創始者と言われています。いよいよ建材を扱う業界に龍次郎さんが飛び込んだわけです。

「合資会社穴原商会」は明治27年に設立されました。創業者 穴原栄治郎氏は、慶応元年、足利市生まれ。茶の取引から外国の事情を知り、建材業に進出なさった。to-gobenrigawara米国のスタンダードペイント社と「ラバノイド」ルーフィングの日本代理権契約を結び輸入を開始。「ラバノイド」は”最良毛製屋根材”と喧伝された、今で言う所のアスファルトルーフィングで、その後アスファルト事業に積極的に進出したのだそう。明治末期には南千住にルーフィング工場を建設して、自社製品を作り始め、その後、第1次大戦による建築ブームに乗って、自社製品「トーゴー印」の便利瓦(アスファルトルーフィングのこと)が繁忙を極めたのだそう。写真はその便利瓦を作る工場を紹介した当時の絵葉書です。

なるほど、アスファルトルーフィングといえば、屋根の防水性能を強化する建材です。このころから、建材の中でも特に防水用の建材と関わっていたのかと、マノール発明への第1歩が感じられ、むやみに嬉しくなってしまいます。

矢中の杜の本館には「矢中式陸屋根」という名の木造建築用フラット屋根が施工されています。木造建築に勾配のない屋根を付けることはかなりの冒険だったはず。防水について絶対の自信がなければできない施工です。龍次郎さんは、油脂化工社時代にアスファルト関係の特許も取得されており、穴原商会のような同じ建材業界を渡る仲間がいたことは、お互いの成長のためにも大いに励みになったことであろうと、矢中式陸屋根を眺めつつ、深く頷くのでした。

矢中の杜、次の公開は9月17日(土)です。
残暑が厳しい中でも、風は秋めいてきています。見学には最適の季節。
皆様のお越しをお待ちしています。

ナカムラ

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