2022.04.14

“矢中の杜”をはじめた守り人の話 14 最高水準の文化遺産保護とは

こんにちは。井上です。

4月ですね。新生活の始まり、という方も多いかと思います。

そんな気持ち新たにするこの季節、今回の投稿では私の初心について触れてみようと思います。

 

随分と前に自分で書いた文章を読み返してみました。

そこでは、こんなことを綴っていました。

 

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NPOを立ち上げる際、私は一発起人として「矢中の杜を舞台に、最高水準の文化遺産保護の取組みを実現する」ことを目標としたいと言いました。
これが、私の「初心」です。
では、「最高水準の保護」とはなにか?
それに対する明確な答えが自分の中でまだ出てないので、葛藤するわけです。
邸宅がピカピカに修繕されること?
資金が潤沢で、経済的に自律していること?
専門家に手厚くサポートしてもらうこと?
行政等の支援を受けて、安定した活動を継続すること?
どれも重要な要素ではありますが、それで十分とは思えません。
ただ一つ、絶対に欠けてはならないことがあると思っています。
それは、この活動に関わる人全員が「どうして、これを大切なものとして残すのか」「この邸宅が有する、守るに値する価値とは何なのか」「そのためには、どのような行動をするべきか」を考え、互いに共有していることです。

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この考えに至る背景には、矢中の杜の活動を始めたころに参考としていろいろな文化財建造物を見学した時に感じたことがあります。

活動当初はとりあえず一般公開できるようにすることを第一目標にしていたので、公開方法や見学者対応、料金設定などを参考にしようと、公開されている数々の文化財建造物を見学してみました。

建築の種類、規模、保存主体(行政か民間か)など各々異なるので、一律な比較はできません。

しかし、ある程度の数を回ってみると、自分の中で一つの基準ができてきました。

それは「この建物が愛されているか」ということ。

 

文化財になっていて、潤沢な修理費も投じられて工事が行われて、管理も行政が行っていて、保存という意味では全く問題なさそうな建物。

でも、見学する間、関わる人の思いや温度を感じられない。

そういう建物もありました。

 

受付でチケットを買う時、顔も見えないような窓越しにただポイっとチケットを渡される。

中に入っても、案内板もほとんどない。管理側の人は誰もいない。

「見たければ好きに見れば?」と言われた心地(どうぞ心ゆくまで見てくださいね、では決してない)。

展示物も、埃を被っている。

 

…ああ、この建物はあまり愛されていないんだな…

 

どれだけ建物が立派でも、資金が潤沢でも、訪れた人がこのような気持ちになる保護の仕方は、どうなのだろう。

少なくとも、自分が活動する矢中の杜では、こんな形にはしたくない。

 

一方、この建物はものすごく愛されているなぁ、凄いなぁ、こんな守り方ができたらいいなぁと刺激を受けた建物もありました。

そういう建物の場合、すでに見学受付の時点で違いました。

 

この建物を守るために、見学者に求めること、守ってほしいこと、してはいけないことをはっきりと伝えますし、必要あれば時間制限、人数制限も行います。

ガイドツアー制のみの公開しかしていないところもありました。

そのガイドも、ただ決められた原稿を読むのではなく、その人自身がこの建物が好きなのだなと、こちらに伝わってくるようなガイドの仕方をされる。

建物の中を見ても、掃除が行き届いていたり、案内板に趣向が凝らされていたり。

建物に関わる人たちの温度が伝わってくるようでした。

管理する側のそういった姿勢が伝わると、見学する側の自分も、ああ、見学者は「お客様」ではないのだな、見学する側もこの建物を守り残していくための姿勢が必要なんだな、と感じるようになりました。

こういう建物を見ていくうちに、矢中の杜も、このような守り方がしたい、と思ったのです。

 

矢中の杜を一般公開する時、当初はガイドツアー制のみとしていたのは、このような背景がありました。

私たちの考えを、活動のことを、きちんと「伝えること」、そして見学に来られた方にも「共有してもらうこと」が最も大切であり、それを成し得る最良の方法が対面でのコミュニケーションであるガイドだと実感していたからです。

特に活動初期は、邸宅のこともNPOのこともあまり知られていない状態なので、なおさらです。

 

今でこそ、邸宅公開日はガイドツアーだけでなく、自由見学も対応するようになりましたが、自由見学を受け入れる決断をするまでには、NPO内で何度も話し合いを重ねましたし、対応を考えました。

ガイドツアーほど説明はできない代わりに、どんな案内をしたら邸宅の魅力を伝えられるだろうか。

がっつりとしたガイドはできなくても、見学者の様子を見て声をかけたり、話したりしよう。

見学後にお茶を出す際に(コロナ禍になってお茶出しは中止していますが)、いろいろとお話しをしてみよう。

こういったことを、守り人たちは常々考え、悩み、模索しながら活動を行ってきました。

 

葛藤は公開に限ったことだけではありません。

普段の維持管理でも、修繕工事でも、イベントの企画でも。

いつも何かしらの課題は抱えていて一筋縄ではいかないことも多いですが、どんな時でも立ち返るのは「矢中の杜を文化遺産としてきちんと守り、伝えていくために今できる最善は何か」です。

考え、悩むことを諦めない。

これが、最高水準の文化財保護に繋がっていくのではないかなと思います。

 

初心を振り返りつつ、改めてそんなことを思うのでした。

こんな守り人たちの姿勢が、矢中の杜を訪れる皆さんにも伝わっているといいなぁ。

写真は、在りし日の矢中の杜の新緑です。気持ち新たに今年度もスタートです。

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