2016.06.26

龍次郎さんのこと その4ー龍次郎さんと博覧会

平成21年度の論文”近代和風建築「旧矢中龍次郎邸」の文化的価値の評価”によると、龍次郎さんは、油脂化工社を起こした次の年の大正11年、上野で行われた平和記念東京博覧会に「マノール館」を出展します。

東京博覧会

平和記念東京博覧会写真帳より

この平和記念東京博覧会、大正11年3月から7月に上野公園で行われ、1000万人以上が訪れたという大正期最大の博覧会です。当時の東京市の人口が400万人と言いますから、かなりの人出だとわかります。

農産館、食料水産館、染織館、満蒙館、外国館などの本館、特設館のほか「文化村」と呼ばれた住宅展示場もはじめてお目見えしました。衣食住の全てを網羅、芸能や動物も楽しめ、水上飛行機の実演なども行われた、老若男女楽しめるアミューズメント性のある博覧会です。

明治期から頻繁に行われるようになった国内の博覧会は、当初全国の名産や新しい製品を紹介する産業陳列の博覧会でしたが、だんだんと姿を変え、陳列物を見るだけでなく、演劇やダンスなど催し物がある楽しむ博覧会へと変化していったそうなのです。

平和記念東京博覧会状勢一斑総面積11万余坪の会場で、見落としがないようにガイドブックができるなど、至れり尽くせり。この大々的な博覧会に参加なさったことで、実際に油脂加工社の製品を使う建築関係者や施工主へのアピールも、随分とできたのではないでしょうか。

油脂化工社を起業したのは龍次郎さん満43歳、平和記念東京博覧会に出展したのは満44歳。

多雨多湿の気候にある日本の建物の美観と衛生、強度を守るべく、満州から自慢の防水剤「マノール」を引っさげての帰国。日本の街や人々の暮らしのため、熱く燃える壮年の龍次郎さんを想像してみると、矢中の杜にある写真の中の自信に満ちた龍次郎さんの表情も、なるほどさもありなんと納得できるのでした。

手ぬぐい展2016、開催中です。次の公開は6月29日(水)、7月2日(土)、3日(日)と残すところあと3日。皆様のお越しをお待ちしております。

ナカムラ

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