2016.10.14

矢中の杜活動史 第11回—その場所の名は”矢中の杜”

ブログをご覧の皆さま、こんにちは。
“矢中の杜”の守り人、前理事長の早川(公)です。

寺尾くんが書き起こしてくれている、「草取り」の話は面白いですね~。
つくば市のクリーンセンターにも何度寺尾くんと行ったことでしょうか。
あまりに慣れた手つきからか、運ぶものの多さからか、途中からクリーンセンターの職員さんに、

「業者の方はダメですよ」

と言われるようになったのをよく覚えています(笑)

さて、今日は「名づけ」の話をしたいと思います。

第7回第9回で書いたワークショップを通じて、参加したメンバーの間で、

・古いものと新しいものが共存した、そんな価値観を共有できる場所をつくりたい
・文化財の「動的保存」を高いクオリティで実現する

という2つの価値を共有しました。
それじゃ、それを表現する場所はなんと呼ぶのがいいのだろうか。
いつまでも、(この連載記事で表現してきたように)「オヤシキ」のままではいけないですからね。

「”矢中の杜”が、いいんじゃないか」

発起人の一人であるFさんが言いました。
この”矢中の杜”という呼び名は、このワークショップで初めて登場したわけではありません。

元の所有者と、今の所有者のお名前を組み合わせて宛てた、この呼び名。

それまでも「なんとなく」愛称のように使われていた呼び名ですが、ViaionとMissionを議論した後に聞くと想いが一層変わってきます。
龍次郎さんが日本の伝統的建築技術と西洋の化学的技術を組み合わせて理想の空間を実現しようとしたところに、その想いを引き取った新しい所有者が、新しいメンバーと場所づくりをする。
「古いものと新しいものの共存」のVisionが”矢中の杜”という名づけにはぎゅっと詰め込まれているような気がしました。

これは個人的感覚ですが、ぼくの生まれ故郷は宮城県で、宮城県の中心でもある仙台は「杜の都」と呼ばれています。
「杜」という語がもつ、人間の手が適度に加わって整えられた雰囲気も個人的にはしっくりくるものでした。
何より、寺尾くんが書いてるように、当時は実際に「森」でしたから、それを「杜」にするんだという感覚もあったかもしれないですね(笑)

7年前のこの頃。
邸宅や庭園はまだまだ掃除の途中。
そんな中でも、”矢中の杜”は、「きっと実現するであろう未来」をイメージできていたのだとも言えます
今となっては、あたりまえに共有されている”矢中の杜”という場所ですが、そんな想いがめぐりめぐって名づけられたものでした。

というわけで。
次の更新では、名づけの第二弾として、NPOの団体名について書こうと思います。

次回の邸宅公開は10/15です。
古いものと新しいものが共存する矢中の杜をぜひご覧ください。

コメントを残す

メールアドレスが公開されることはありません。 が付いている欄は必須項目です