2016.11.27

龍次郎さんのこと その17ー龍次郎さん、銅像になる

img_1246img_4110-%e3%81%ae%e3%82%b3%e3%83%94%e3%83%bc%e7%9f%a2%e5%8d%b0一昨年、東日本大震災による被害の修繕工事を行ったときのこと。
矢中の杜に残る横井戸の上の部分の大谷石の土留めが、震災の際崩れてしまい、応急的に対応していました。茨城県やつくば市、日本ナショナルトラストの助成を受けて、そこを修繕することができたのですが、そのまま大谷石を積み上げるのではまた崩れるおそれがあるので、補強をして修繕しましょうということに。工事のためちょうど横井戸の上の土を掘っていたとき、何故か土の中から頑丈なコンクリートの平板が現れたのです。これは一体なんだ?と首を傾げた時に思い出したのが、矢中の杜に残っている写真の一つでした。それはかつて矢中の杜にあった龍次郎さんの胸像の写真。その胸像の土台に違いない!とにわかに興奮状態になったのでした。

龍次郎さんは昭和33年、紫綬褒章を授与されました。セメント防水剤マノールの発明の功を評価されたのです。77歳まさに喜寿の年のこと。邸宅別館に飾っている大きな写真は、褒章授賞の際の写真で、ご覧になった方も多いと思います。

これを祝して各所から色々と贈り物がされています。その一つが龍次郎さんの胸像です。「後世に何か残るものを」と社員を中心に、取引先などの皆さんが協力して作り上げられたもの。それがちょうど横井戸の上の部分に建立されていたのです。

img_1249それは本館(居住棟)の座敷に入り、床の間を背にして座ると、窓の外の龍次郎さんの胸像と向かい合うような位置。龍次郎さん、そんなところから見ていらしたんですか、と気持ちが引き締まるような、一本取られたと思うような、そんな気持ちがしたのです。

(現在その銅像は矢中の杜から引越しをして、株式会社マノールの工場前に設置されています。)

矢中の杜には「掘ると何かが出てくる」というジンクスがあって、これまでにも謎の石畳、謎の水槽などが出てきました。その度にNPOのメンバーや関係者、ご近所の方など、みんなが持っている知識や経験を持ち寄って、答えを導き出すのはなんとも愉快な謎解きです。その答えが正解なのかどうかは明確にはわからないのだけれど、「たぶんそうだよね。龍次郎さんったら!」と一旦の予想を何度も繰り返しているうちに、だんだんと全容がわかってくるのではないか、と思うのです。

img_1261さらにしっかりとした調査を行えば、もっと多くのことが正確にわかるのかもしれません。しかしながら、ちょっとした謎や妄想などの余地がある方がずっと楽しいよなあ、ともつい考えてしまうのでした。

次回の公開は12月3日(土)です。
紅葉の葉が落ちて、絨毯のようになっています。

ナカムラ

コメントを残す

メールアドレスが公開されることはありません。 が付いている欄は必須項目です