こんにちは。井上です。
第2回は、私がはじめて邸宅を訪れた時の話。
忘れもしない、2008年11月某日。
当時、私は大学院の修士1年。
施主矢中龍次郎さんのお孫さんである株式会社マノールの矢中社長、会社の社員の方々数名、現邸宅オーナー、当時大学院生の早川さんと一緒に、空き家状態の旧矢中邸に、はじめて私は足を踏み入れました。
(この日に至るまでの経緯は、別途書こうと思っています)
そこは、まるでその空間だけ何十年も時が止まっていたのではないか、あるいは自分がタイムスリップしたのではないかと、本気で思うような、とても静かな空間でした。異空間といってもいいかもしれません。
建物だけでなく、中にある家具家電、生活用品、それらがすべてそのまま残っていました。いないのは、そこで暮らす人のみ。
言葉にできないこの空間の雰囲気に、踏み入れた瞬間から、ただただ惹きつけられました。
数十年もの間空き家状態であった邸宅は、当然のことながら埃、カビ、蜘蛛の巣、虫の糞等々に覆われ、荒れてはいました。
空気もよほどひどいものだったのでしょう、私は邸宅にいる間、ひたすら咳が止まらなかったことを覚えています。
それでも、この邸宅は、私を惹きつけてやまないのです。
私は「一目惚れ」してしまいました。
矢中社長の案内で一部屋一部屋を見て回りましたが、その説明を聞きながら、現オーナーと一緒に都度驚くばかり。
迎賓棟である別館まで見終えた時には、もう踊る心を抑えられません。
…
一方、外の庭園の方は、まさにジャングル。
ここは本当に日本?東南アジアかどこかのジャングルに迷い込んだのでは?というような状況でした。
今の庭園を知る方には想像がつかないかもしれませんが、今でこそ無数に見えている庭石も、その時は一つも見えないほど(というよりその面影すら全く感じられない)、木や草が生い茂り、建物と樹々の間には隙間もありませんでした。
私は某テレビ番組のミステリーハンターにでもなったような心地で、草をかき分け、別館横まで歩いてみましたが、それ以上奥にはとても進めません。
矢中社長は、「ここに青石があって、滝があって、あそこには階段があって…」とジャングルのどこかを指差しては、かつての庭園についても話してくださいましたが、全く想像がつかない状態でした。
だって、ボーボーに蔓延った植物しか見えないんだもの。
これはもうまるで埋没した遺跡の発掘だな…なんて内心思ったものです。
これは、いろんな意味で「ただ事じゃない」。
正直そう思いはしましたし、実際のところ、この荒れた邸宅や庭園をどうすればいいのか、明確な考えはなかったのですが、
「私はここでがんばりたい、ここをどうにかするのは私!」
と、なぜかものすごく強く思ったのです。
すぐに「学生でお金もないし、何の力もないし、今後の保証も何もないけど、私にこの邸宅の保存活用の活動をさせてください」と現オーナーに頭を下げました。
お金も力もない学生のこんな申し出にもかかわらず、「どうなるかはわからないけど、ひとまず、2,3年やってみましょう」、とオーナーは応えてくれました。
あんな状況で、よくオーナーも承諾してくれたなぁと、今でも思います。感謝です。
…
こうして、旧矢中邸と出逢ったのでした。
ここから、邸宅との長い付き合いがはじまりました。
「一目惚れ」した相手を、やすやすと逃すわけにはいきません。
あの手この手を使いながら(笑)、今に至るわけです。