2016.12.25

龍次郎さんのこと その19ー龍次郎さん、立ち向かう

今年もいよいよあとわずか。年の瀬も押し迫ってまいりました。
12月26日(月)午後11時15分から、NHKBSプレミアムで、矢中の杜でロケが行われたドラマが放映されます。江戸川乱歩短編集Ⅱの第1回「何者」の舞台になりました。矢中の杜で事件が起こるようです!

さて、龍次郎さんのこと。満州から日本に戻り、東京で会社を起こして2年目、大正12年、関東大震災が東京を襲います。震災後の帝都復興には、セメント防水剤マノールが数多くの建築物で使われたようです。前回ご紹介した昭和30年作成の「経歴書」によると、国会議事堂、宮内庁、歌舞伎座、三越呉服店、同潤会啓成社、同潤会アパート、野田醤油株式会社などなどが施工先として掲載されています。

龍次郎さんは、大正13年に「東京府復興建築博覧会」の委員に就任。博覧会終了後、「建築資料協会」を創設、理事に就任されています。

明治の始め、洋風建築が日本に入ってきて以来、その資材は他国からの輸入が多かったのですが、それを日本的に改良し国産への移行も進みました。関東大震災という未曾有の災害にあって、大量に必要とされる建築資材の指導的な機関を作ることで、優良な資材を円滑に供給できるという理由から、「建築資料協会」は設立されたのだそう。需要のあるところに優良な国産資材を円滑に届け、会員間の勉強会などで横のつながりも作った協会だったそうです。その創設に関わり、理事も務めた龍次郎さんの、問題に立ち向かう姿勢と行動力は、なんてかっこいいのだと素直に思えます。

img_0371龍次郎さんの造った矢中の杜は、戦中戦後の日本中が苦しかった時期を経ており、平成に入ってからも、国登録有形文化財への道が始まった頃、東日本大震災で被災、翌年、竜巻の被害にあいました。今も保存活用をして、みなさんに見学していただいたり、使ったりしていただけるのは、守り人の皆さん、地元の皆さん、他にも力を貸していただいている様々な皆さんのおかげです。龍次郎さんの問題に立ち向かう姿勢と行動力を引き継ぐと大きなことは言えないまでも、せめて真似をして、これからも龍次郎さんの残したものをつないでいきたいと思うのです。

夏から始まったブログでの連載、あっという間に19回を迎えました。連載「矢中の杜活動史」「矢中の杜へようこそ」も、それぞれに読み応えがあるものになっています。
読んでいただいている方に楽しんでいただけるだろうか、こんな内容ではマニアックすぎるのでは、など、悩みながらの連載に、お付き合いいただいてありがとうございます。今年は今回の更新でお休みに入ります。来年も引き続き、お楽しみいただけるよう励んでまいります。

皆様には良いお年をお迎えください。
来年も、引き続きお引き立ていただけますようお願い申し上げます。

新年は1月14日(土)から邸宅公開をいたします。
皆様のお越しをお待ちしています。

ナカムラ

コメントを残す

メールアドレスが公開されることはありません。 が付いている欄は必須項目です