矢中の杜(旧矢中家住宅)の特徴の一つは、矢中防火板。
これは、日本の風土にあった木造建築の持つ弱点の一つ、火を食い止めるための龍次郎さんの発明です。薄いコンクリートのタイル板を外壁の下地に貼り付け、その上をモルタルなどで仕上げるもので、特に隣地との境界線近くの外壁に使われています。普段は壁の中ですから見えないのですが、そっと守りを固めているわけです。
龍次郎さんが活躍していた頃、木造建築の外壁を薄い、土・モルタル・タイル・金属板などでくるんで火がつきにくくする準防火構造の対策が取られはじめます。これが大正9年に制定施行され、初の建築法規と言われている「市街地建築法」。当時ほとんどを占めていた木造建築は、火事になると近隣に飛び火して延焼が拡大、大火になることも多く、その危険を減らすための施策です。それにより、真壁(しんかべ)造りと呼ばれる木の柱や梁がそのまま見える建物が大幅に減り、モルタルやタイル、板金などの不燃材を外観に使った建物が増えて、街の景色も随分と変わったのだそう。私たちはこの変わった後の景色に慣れているので、今では真壁造りの建物の方が珍しいと感じてしまいます。
龍次郎さんの実用新案の中から、この矢中防火板に関するものを抜き出してみると、
大正13年 壁下地用「タイル」
大正14年 防火防水保温壁
昭和 3年 木造建築壁体用防火「タイル」
と何度も工夫を重ねていることがわかります。
矢中防火板以外にも屋根材なども開発。コンクリートという新しい材料で、できることに次々と着手していったあたり、勝手ながら龍次郎さんらしいなあと思ってしまうのです。
大正4年に「建築非芸術論」が発表されるなど、建築の技術面、性能面に大きな関心が集まっていった時代。そんな時代の流れもあったのか、旺盛な龍次郎さんの発明意欲には惚れ惚れする思いです。様々な建材で街を守る挑戦は今現在も各業界で続いていて、災害の多い日本には必要なこと。これからも続くであろう矢中の杜の歩みは、龍次郎さんの様々な挑戦の跡にも支えられていくのだろうなあと思うと、そっと胸を張りたくなるのでした。
次回の公開は、1月28日(土)です。
皆様のお越しをお待ちしております。
ナカムラ