2017.12.11

矢中の杜活動史 第34回—百景社との出合い

こんにちは、ポエマーの早川です(寺尾くんの前回記事より)。

今は、一つのものをゆっくりを考える時間も少なく、なんだか「寂しいな」という気持ちです。

すみません、のっけからグチでしたね。


前回にも、AAPAとの出合い(第31回第32回)に続く話ですが、邸宅の「価値」をどのよう手段で伝えればいいのか、については活動の初期からずっと考えていた話です。もちろん、その核となるのは邸宅公開ガイドなわけですが、例えばそれはキャッチコピーだったり、ダンスだったりしたわけです。

その中で今回は、演劇の話を。

震災の年(これはこれで記録しなければいけないことですが)の11月、ぼくたちは「矢中の杜“縁”プロジェクト2011 -文化遺産×演劇×ダンス-」という企画を立ち上げました。その年に旧矢中邸が登録文化遺産に登録されたことを受けて、「文化遺産」という言葉を全面に押し出したような気がします。この中で試みたのが、旧矢中邸で演劇をすることでした。

こんな企画に応じてくれたのは、現在土浦市のアトリエを持つ百景社さん。

演題は太宰治の『斜陽』です。

物語は、没落していく上流階級が恋に生きる…雑に書いてしまうとこんな感じですが、つまり「没落」した人たちの住まうところが旧矢中邸(旧矢中庭)というわけです。観客は、L字の廊下に腰掛けて、庭で動く演者たちを見ます。「斜陽」に掛けて、演目時間も夕方です。

作中でも出てくる「黄昏」。誰そ彼(たそかれ)…と問うから黄昏なんだという話を学生時代に聞きました。そして少しずつ薄暗くなっていく舞台では、昼と夜、現実と虚構、今と過去の境目がぼんやりして、その時しか顔を出さないような瞬間に立ち合えたような気がします。


舞台の一つひとつを思い出そうとするには、時間が経ちすぎました。でも、あの時舞台の最中の「お母様」が亡くなるその場面で雷がゴロゴロと鳴ったような、そんな「ああやってよかった」と思えた瞬間の記憶は今も残っています。建物はずっと同じように残って(いるようにみえ)ますが、そこで起きたことは残りづらい。でもそれこそが、大切なものなんだろうなと、今もなお思うわけです。

すみません、話を思い出すために「斜陽」を読み直したらよくわからない文章になってしまいました…。今日は、このあたりで。。。


次週の邸宅公開は12/16(土)の予定です。今年の邸宅公開の最後となりますので、よろしければ是非とも足をお運びください。

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