こんにちは、井上です。
前回の記事から間が空いてしまい、久々の連載記事投稿となります。
変わらずお付き合いいただければ嬉しいです。
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活動する中で、これまでも様々な葛藤を抱えてきましたが、活動初期の頃の葛藤の一つを今回の記事のテーマにしたいと思います。
矢中の杜は、見学の際には「邸宅維持修繕協力金」を見学者の方にご負担いただいています。いわゆる入館料のようなもので、通常の邸宅公開ではお一人様500円を頂戴し(中学生以下は無料です)、邸宅の維持管理や修繕、NPOの活動資金として大切に活用しています。
この「有料」であることが、活動初期にはなかなか受け入れてもらえず、悩み、傷ついたことがしばしばありました。
建物を維持していくには資金が必要であることは当然で、特に矢中の杜のように築年数が経っていて、規模も大きく、細部まで趣向が凝らされている建物なら尚のこと。
他の文化財建造物でも入館料を設定しているところはたくさんあって、矢中の杜も有料施設とすることに私個人は何も疑問に思うこともなく、むしろ当然のことと考えていました。
しかし、いざ始めてみると、これがなかなか難しいのです。
「有料だと、地元の人は見に来ないよ」
「そんなお金取ったりして敷居を高くしないで、無料で公開すればいいのに」
「他の地域の団体の中には、無料で開放してたくさん人を集めて輪を広げているところもある。ここもそうすれば?」
こういったことを言われる機会も少なくありませんでした。
受付で有料だと知って、じゃあ見学はやめます、と帰っていく人もいました。
また、ある時のこと。
某先生が、自分の学生たちに邸宅を見学させたいとのことで、連絡が来ました。
邸宅見学の際には協力金をご負担いただくこと、ガイドツアー制での対応になること(当時はガイドツアー制のみで公開していました)、所要時間として1時間程度かかることをお伝えすると、
「学生からお金を取るのか!ガイドなんていらないし、1時間も時間取れないから、ささっと無料で見学させてくれ」
と言われたのです。
この時は、あまりに一方的で勝手な要望に、腹が立つやら呆れるやら悔しいやら、しばらく気持ちが収まらなかったのを今でもよく覚えています。
あなたは、博物館や美術館に行ったときに、ささっと見るだけだから無料で入れろ、と言うのですか?と。
どうして有料で公開しているのか、どうしてガイドの説明を受けてもらいたいのか、その背景に対して全く配慮がなく、それを行っている側への敬意もないことに、正直傷つきもしました。
たしかに、空き家状態だった時期を知っている人にとっては、荒れ果てていた空き家で急にお金を取るようになったら抵抗を感じるでしょうし、
当初は学生中心の活動と見られていたことで、お金を払うレベルとして認識されにくいという面もあったのでしょう。
実際、前述の先生の発言の裏には、相手が学生だと思って下に見ている印象も受けました。
じゃあ、果たして、無料にすればいいのか?
無料にすることによって、たくさんの人が来ればいいのか?
それは、違うと思うのです。
無料じゃないと(有料だと)来ない、という方にどうやって来てもらうか、そのために敷居を下げることを考えるのではなく、
高い敷居を跨いででも見てみたい、もしくは見てよかったと思ってもらえるような空間にすることが、矢中の杜の活動にとって大切なはず。
迎える立場としても、有料であることによって、お金を払ってでも見学した甲斐があったと見学者の方が満足していただけるようにしようと、一層士気が上がります。
そうやって質の高い空間にしていくことが、私たちが注力すべきことだ、と。
そう思いながらも、度々浴びせられる「無料だったら」という声に葛藤を抱えていた時、ある方に言われた言葉に救われました。
「絶対に無料にすべきじゃない。矢中の杜はブランド力がある。そのポテンシャルの高さを絶対に損なってはいけない。」
その人の言葉がストンと腑に落ちて、そこからは有料か無料かということに悩むことはなくなったように思います。
ガイドツアー制に拘っていたこととも関係しますが、
ここがどういう建物か、
施主は誰なのか、
どういう想いで建てたのか、
何の価値があってここは保存するに値するのか、
そのためにはどうしたらいいのか
それをきちんと伝えて、見学者の方も、邸宅維持修繕協力金という形で矢中の杜の保存に関わっているということを体感していただけるようにする。
それが大切なことだと思って、活動してきました。
今では、協力金の設定も周知のこととなり、有料であることに疑義や文句を言われるようなことはありません。
邸宅にいらっしゃる皆様のご理解と、それに応えようと努める守り人の存在があって、矢中の杜は成り立っています。
すごいなぁ、ありがたいことだなぁ、としみじみ思います。