2016.11.13

龍次郎さんのこと その16ー龍次郎さん、最大の謎とは

img_0968矢中の杜(旧 矢中家住宅)の工事が始まったのは、昭和13年。工事がすべて終わったのが昭和28年です。龍次郎さん満60歳からの建築事業で、別館(迎賓棟)の1階部分、本館(居住棟)、別館の2階部分の順に建築されました。

昭和13年といえば、日中戦争が始まった翌年であり、国家総動員法が施行された年。戦時統制が強まり、資材も労務も制限があった時代です。
矢中の杜建設に影響があると思われる統制規則を見てみると、
昭和12年 「鉄鋼工作物築造許可規則」…鉄材、鋼材についての使用制限
昭和14年 「木造建築物建築統制規則」…木造住宅建設についての建て坪規制と許可制度
昭和16年 「木材統制法」…木材流通を統制
と目白押しで、建築中のほとんどの期間がなんらかの統制を受けていたことになります。
戦後は、昭和21年の「新円切り替え・預金封鎖」による引き出し限度額の設定などもあり、昭和24年~25年に順次統制が解除されるまで、かなり不自由な状態が続きます。

一体このような時代に、なぜこんな豪華な邸宅を建てることができたのか!
龍次郎さん、そして矢中の杜の最大の謎!と言っても過言ではないのではないか。

民間の建物は木造への計画変更をせざるを得ない状況が続いていた時に、鉄筋コンクリート造の別館1階の建築開始、その後、木材統制の始まった昭和16年には、別館の1階部分が完成して、本館の工事が始まっています。

こうなると「龍次郎さん、どうやってこれだけの建物を建てたのですが!」と大声で語りかけたい気分になります。建築期間中、一時工事が中断した時期もあったのだとは思いますが、それぞれの規則をよく知ってうまく切り抜けたのか、それとも、何らかのつてを伝って上手に抜け道を見つけたのか。なんにせよ、単に自分好みに建物を建てるというだけではない工夫が必要だったことでしょう。

1045178_452616801500409_119887291_n矢中の杜に残る資料の中に昭和18年の「用材自家使用届」があります。木材統制下での木材使用届で、矢中の杜は確かにその時代に造られたのだと、感心しながらも、謎が膨らみます。いつの日か謎が謎でなくなる日が来るのでしょうか。龍次郎さんからお話しをうかがってみたかった、としみじみ思う初冬の日なのでした。

「反骨の絵師 野沢如洋展」、11月19日(土)に最終日を迎えます。
皆様のお越しをお待ちしています。

ナカムラ

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