龍次郎さんのことーその24 もっと知りたい。
龍次郎さんのこと−その23 龍次郎さん、北条に育つ
龍次郎さんのことその22ー龍次郎さん、邸宅を案内する。
龍次郎さんのこと その21ー龍次郎さん、小学校へ。

矢中の杜には、明治18年(龍次郎さん満7歳の頃)に発行された、「北條小学校初等科第六級卒業」の証書が残っています。お名前の漢字が違うのはご愛嬌なのだろうか…と引っ掛かりつつも、「第六級卒業ってなんだろう?」と不思議に思い調べてみると、明治12年に発令された「改正教育令」によるものでした。
明治5年に発布された「学制」が、明治12年、「教育令」に変更され、その後改正がなされました。小学校の教育課程の基準については、明治14年に「小学校教則綱領」が定められ、小学校は、初等科:3年、中等科:3年、高等科:2年の三段階編制となったのだそう。初等科6級、中等科6級、高等科4級の昇級制度が設けられて[……]
龍次郎さんのこと その20ー龍次郎さん、ますます発明する

矢中の杜(旧矢中家住宅)の特徴の一つは、矢中防火板。
これは、日本の風土にあった木造建築の持つ弱点の一つ、火を食い止めるための龍次郎さんの発明です。薄いコンクリートのタイル板を外壁の下地に貼り付け、その上をモルタルなどで仕上げるもので、特に隣地との境界線近くの外壁に使われています。普段は壁の中ですから見えないのですが、そっと守りを固めているわけです。
龍次郎さんが活躍していた頃、木造建築の外壁を薄い、土・モルタル・タイル・金属板などでくるんで火がつきにくくする準防火構造の対策が取られはじめます。これが大正9年に制定施行され、初の建築法規と言われている「市街地建築法」。当時ほとんどを占め[……]
龍次郎さんのこと その19ー龍次郎さん、立ち向かう

今年もいよいよあとわずか。年の瀬も押し迫ってまいりました。
12月26日(月)午後11時15分から、NHKBSプレミアムで、矢中の杜でロケが行われたドラマが放映されます。江戸川乱歩短編集Ⅱの第1回「何者」の舞台になりました。矢中の杜で事件が起こるようです!
さて、龍次郎さんのこと。満州から日本に戻り、東京で会社を起こして2年目、大正12年、関東大震災が東京を襲います。震災後の帝都復興には、セメント防水剤マノールが数多くの建築物で使われたようです。前回ご紹介した昭和30年作成の「経歴書」によると、国会議事堂、宮内庁、歌舞伎座、三越呉服店、同潤会啓成社、同潤会アパート、野田醤油株式会社など[……]
龍次郎さんのこと その18ー龍次郎さん、渋沢子爵邸を施工する
龍次郎さんのこと その17ー龍次郎さん、銅像になる

一昨年、東日本大震災による被害の修繕工事を行ったときのこと。
矢中の杜に残る横井戸の上の部分の大谷石の土留めが、震災の際崩れてしまい、応急的に対応していました。茨城県やつくば市、日本ナショナルトラストの助成を受けて、そこを修繕することができたのですが、そのまま大谷石を積み上げるのではまた崩れるおそれがあるので、補強をして修繕しましょうということに。工事のためちょうど横井戸の上の土を掘っていたとき、何故か土の中から頑丈なコンクリートの平板が現れたのです。これは一体なんだ?と首を傾げた時に思い出したのが、矢中の杜に残っている写真の一つでした。それはかつて矢中の杜にあった龍次郎さんの胸像の写真。そ[……]